「パチンコは粘りと頑張り」というけれど、どんなに負けても、あきらめずに帰らないのがいる。
もちろん、それはそれでいいのだけれど、粘っている理由によっては感心出来ないね。
粘るべき理由は、デジパチだと、理論的に時給計算が成り立つ場合で、たまたま確率的に期待された結果が出ていないとき。
羽物の場合は、釘に自信があって、必ず勝てるという自信のある場合。
まあ、勝算あっての行為なら、粘りは正解。
しかし、ただ負けていて、負けを取り戻すまで、やめられないというのでは、もはやそれは勝負ではない。
その台で打って勝算があるならいいけれど、勝算も無く、ただお金を取り戻したいというのであれば、粘りではなくしつこいだけだ。理性が感情に負けている。
もっと悪いのは、理由も無くやめられないとか、もはや勝算が無いのが分かっていてやめられないということ。これは、意思が弱いのか、自制心が無いのか分からないけれど、砕け散るまで止まらないだろうね。
負けようが、どうしようが、パチ屋以外に行くところが無いという奴もいるだろうけど、その人達には何も言うべきことはない。いい客だとしか言いようがない。
彼ら(彼女らは)勝ったらパチンコをし、負けてもパチンコをするのだろうから。金が入ると「これで、パチンコが出来る。」と喜ぶ人達だしね。パチンコでいくら勝っても、その金はパチンコ代にしかならない。
もはや、こういう人達は勝負とは別の世界に生きているのだから。
それにしても、計算どおりに実行できれば、かなり勝負強いと言えるね。みんな、それができないから困っているのだからね。
もちろん、勝負は計算だけではないのだけれど、特に博才があるのでなければ、気合だけで勝てるというものでもないしね。
勝算があって、粘り強く勝負するのは正しい事だけれど、ただ負けているという理由で、しつこく打つのは感心しないね。
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