5.お見合い形式の変遷
お見合い形式の変遷
 私は、文化人類学者ではないので、私の知る限りの範囲で、お見合い形式の変遷を書きたいとおもいます。
 昔の日本では、「夜這い」などの自由なお見合い?形式もあったのですが、武士階級などでは、原則として親が結婚相手を決めていて、男女の初対面は、結婚式の日ということは、あたりまえだつたのです。
 明治以降も、この考えは残っていたばかりではなく、明治以降に設立された家制度により、強大な権力を持つ家長が親族の婚姻を決定することも珍しくありませんでした。一部では、現在でもこれは残っています。

 しかし、両性の婚姻の自由と、個人主義を規定した現行憲法が制定されてからは、配偶者選択の自由を尊重したお見合い形式になりました。
 しかし、法律は変わっても、まだ家という概念は定着しており、婚姻があると、男女の実家同士も親戚になるため、結婚は本人同士のみならず、家同士の結びつきという側面もありました。
 このことから、お見合いは当人同士ではなく、両家の両親なども出席しました。両親にとっては、子供の結婚相手の候補者を見るという意味だけでなく、親戚になるにふさわしいかも見るわけです。
 もっとも、昔のお見合いは、地域コミュニティーもあり、親戚同士の結びつきも強かったので、お見合いの仲人は地元の有力者であったり、親戚の間でも顔役の人も多く。これらの人が両家の釣り合いを考えてカップリングしていたのと、昔は100%近い成婚率だったので、事実上の親族顔合わせのようなものでした。

 この後、経済成長期に都市部は核家族化し、地域の結びつきが弱くなり、個人主義も定着化してきました。もちろん、昭和50年前後までは、まだまだ地域コミュニティーは生きていて。お見合いも従来のように、100%近くとはいかないものの、成婚率は高かったのです。
 それは、地域コミュニティーが生きていて、仲人さんは、両家の両親や、本人達も子供の頃から知っている事もあり、この人とこの人が合うのではという判断のもとにカップリングしていたからです。
 それと、この頃までのお見合いは、恋愛結婚とはまったく別のカテゴリーで、単に結婚相手を決めるという儀式だったのです。
 したがって、お見合い1日目で結婚が決まる事も珍しくなく、通常1ヶ月程度で、結納の日付を決める段取りに入りました。
 しかし、現在は、お見合いでも恋愛を求める人が増え、結婚観も変化したために、お見合いの成婚率が著しく低下したのは、先述しました。

お見合いの仲人をする人々
 お見合いの世話をする仲人さんは、昭和50年ごろまでは、親戚の有力者、地域の有力者、もしくは、世話好きの人でした。そして、家具屋さん、宝石屋さん、呉服屋さんなどの結婚と結びつく業種を営む人。
 お花、お茶、裁縫などの習い事の先生。それと、銀行というところが主でしょうか、会社の上司という場合も多いとおもわれます。
 
 地域や親戚の有力者や世話好きの人は別にして、その他の人たちは意外かもしれませんが、今よりも地域コミュニティーがあった時代は、習い事の先生と親ともコミュニケーションがあり、「先生、そろそろ娘にいい人知りませんかねぇ。」というような会話などから世話をするという事がありましたし、現在でも多く行われています。

 家具屋さんなどの業者も、花嫁道具を揃えるわけですが、結婚に近い人の周囲まで、情報を集めやすく世話をする機会もあったとおもわれますが、本業の商売が目当てという人も多いのではないかとおもわれます。

 銀行は、あまり知られていませんが、銀行もお見合いの世話をします(やっていない銀行もあります)。もちろん今では、銀行の統廃合も進み、そういう事はほとんどしていなくて、小さな地域密着型の信用金庫の一部がやっているかどうかでしょう。
 銀行は、隠れた人気相談所なのです。なぜなら、お世話する人というのは、一般の窓口に来る人ではなくて、銀行の外交の人が出入りする家の子弟が対象だからです。銀行員は、その家が金があるかどうか掌握していますし、銀行員のお勧めなら間違いはないという事ですよね。
 もっとも、これは業というより、行員の個人的サービスに近いものなのです。カテゴリーとしては、「お見合いおじさん。」の範疇ですね。

仲人から会社へ
 従来は、上述した仲人さんが、お見合いの世話をしていたのですが、地域コミュニティーの崩壊から、仲人さんの預かる釣書の数が減ってきました、もとより個人の仲人さんが多数の釣書を集めるのは無理があります。
 しかし、ある程度の釣書が集まらないと、お見合いする人の希望にそえなくなるので、お見合いを成立させる事すら困難になるのです。
 そこで、お見合いの仲人さんは、他の地域の知り合いの仲人さんに「こういう人に合う人いないかな。」と言う具合に、仲人さん同士の釣書の交換をしなければならなくなり、やがて仲人さん同士のネットワークも出来るようになりました。
 もちろん、大多数の仲人さんは、従来どおりの、世話好きの人にとどまるのですが、中には、ネットワークから会社組織になり、チェーン化したところもあります。

OMMGの登場
 それまでの「お見合い」というものは、仲人さんが双方に釣書というプロフィールを書いたものと、写真を渡して、双方同意すれば、実際に会い。本人同士がよければ、それで成婚というものでした。
 また、地域コミュニティーが残っていた時代は、双方の釣りあいもとれ、本人同士も相性が合いそうな人達をお見合いさせていましたから、成婚率も高かったのです。
 上述の仲人さん達が集まってできた会社なども、原則は、同じ方法でお見合いを進めていました。もっとも、会社組織化した方は、地域の仲人さんより個人についての情報力は落ちるのですが、本人との面談によって、それをおぎなっていました。

 ところが、大阪にOMMGという会社が設立されました。OMMGの方法は、今までのお見合いに革命を起こすものでした。
 それは、データマッチングといって、男女それぞれのデータをコンピューターに入力し、さらに希望条件も入力して、もっとも双方の条件に近い人のデータを会員に渡すというものでした。

 今では、データマッチングは珍しくもないのですが、従来のお見合いに比べて、格段に条件というものが明確化し、合理的に考えられたのです。
 従来のお見合いの場合、希望はいうものの、実際は、釣書の記載は、そんなに詳しくなく、事実上は本人同士会わせてみて、タイプかどうかというのを判断するだけ(一般の恋愛での出会いに近い)ものだったので、年収、学歴などを、しっかり選別するものではなかったのです。

 希望条件があいまいではなく、しっかりと相手を選別できるデータマッチングは、OMMGだけではなく、瞬く間に全国に波及し、会員の要望から、逆に従来の仲人系の会社も導入せざるおえなくなったのです。


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