現在、結婚というものに対する価値感が変化して、「人は必ず結婚しなくてはならない。」という意識から「どうして、結婚しなくてはならないのか。」という疑問が投げかけられるようになりました。 こうしてみると、生まれてきた子供の生活の維持ができる法制があれば、特に結婚をしなくてもいいのではないかという意見もあるでしょう。 もちろん、昔の日本の「通い婚」のようなことも合理的といえるのです。会いたいときだけ会いに行くという形式ですね。 現在では、結婚と言う形式をとらずに、同棲という形式も考えられ、子供ができると、養育は両親のどちらかが養育し、他方は費用を負担するという契約を結んでもいいわけです。 昔は、家族といってもそんなに家族間の結合も強くなく、子供も働けるようになったら働きに出ていってよし。「うちの畑では、そんなに人数が食べてゆけないからね。」といったものでした。 また、日本は、アジア諸国と同じく、昔は夫婦別姓でした。結婚して、夫の家に入っても、実家の姓を名乗り、実家の一員でもあったのです。特に武家社会では、嫁は嫁の実家からのスパイや代理人でもあったわけです。 今で言う「古い”家”という概念」は明治時代から第二次世界大戦が終わるまでの概念なのです。もちろん、領主や大名家でも、家という概念はありましたが、それは、今でいう会社の社長という程度の意味でした。大名家は世襲されますので、家臣が昇進して大名になるわけでないのでその点は会社と違いますが、大名家と領地という社会単位さえ存続すればいいので、どの子供が家を継いでも、優秀な子供がいなければ養子でもよかったのです。 商人でも、男女関係無く、優秀な人が継げばよかつたのです、生まれてきた順番ということもありますが、この場合も男女関係ないのです。たとえ長男、次男がいたとしても、優秀な使用人がいれば、娘と結婚させて家を継がせるということは当たり前だったのです。 別の形態でいうと、「夜這い」の風習というものもありました。未婚の娘がいると、誰でも自由に夜這いして、気に入ったら一緒に暮らす。まあ、これは脱線しましたね。 明治になると、キリスト教思想が入ってきて、一夫一婦制が法律によって規定されました。他方キリスト教思想への反発から儒教思想も強く主張されました。それで、家という制度も創設されました。 これを概説しますと。家というのは、一つの団体であり(家団といいます)家長という代表者が、家団の構成員に対して、身分法的にも、財産法的にも広く権限をもちました。 女性は、男性に従う、男性は目上の者に従うというように、家団の中でも序列があり、妻は単独では法律行為ができないものとしました。 対内的にも、対外的にも家長は、ものすごい権限を持っていました。また、儒教的思想から家督は、男子の年長者が家を継ぐことになりました。 もっとも、家を継ぐといっても、今日の相続とは違います。この場合、個人の財産という概念はなくて、家という団体の代表者が交代するというだけのものなのです。 言い換えると、財産は家のものであり、それを使う権限は家長にあり、家督相続は、家長の交代というだけであり、現在の親から子供に財産が移転するわけではないということです。 また、夫婦同姓となりましたが、これは西洋のファミリーネームというのが輸入されたものです。家団の名称ということになりました。 現行結婚制度 個人主義、両性の平等を規定した現行憲法が制定されたことにより、民法が改正され、従来の家の制度は廃止されました。 そこで、姓・名ともに、個人を表わす名称となりました。しかし、姓も個人名ということになると、結婚して籍を同じにすると姓も変えなければならない理由が説明できなくなります。 かと言って、旧法時代の家制度を残すことも妥当ではありません。そこで、同居して一緒に生活している家族の名前という意味に考えるのが妥当です。 次に、民法は家族はお互い助け合わなくてはならないという規定を設けました。従来の家の制度では、家長は絶大な権限をもって、家という団体の財産を運営し、当然に家団の構成員を扶養しなくてはならない立場にあったのですが、現行法では、両性は、平等かつ対等ですので、それだけで、相手を扶養しなくてはならないという義務は見出せません。 しかし、家族というのは、社会の基本単位として、お互いのみならず、子供の生活の安全も確保されなくてはならず、家族という社会単位を維持するために個人主義を修正して、お互いを助け合い、扶養する義務を課したものです。 また、財産も家の財産という考えを排して、個人財産という概念が貫かれました。夫婦の財産関係は、結婚前に契約で取り決めないと、これを第三者に主張できません。民法に法定された処理によるものとなります。 この点は、夫の名義、妻の名義と個人財産制となっていますが、場合によっては名義ではなく共有財産とされることがあります。 結婚制度への疑問 近時は、社会生活の便や、個人主義の浸透から、夫婦別姓が主張されています。家族というチームの名称という説がありますが、我が国の歴史的経緯からみて、夫婦別姓の時代が長く、一時的に西洋の制度を輸入しただけで、旧法時代の家制度もなくなり、西洋のファミリーネームを強制するべき必然的な理由はないとも考えられます。 今では、家族の結びつきも強くなり、家族という団体の名称も欲しいという意見もあり、夫婦別姓、夫婦同姓は任意にするのが相当かと考えられます。 また、結婚という制度の存在理由が問われていて、子供の安全と生活を確保できれば、結婚制度が無くてもいいのではという意見もあります。愛情は不滅の存在ではありませんし、キリスト教国ではない我が国で西洋流のキリスト教的倫理観を強制する理由も無く。現に離婚も増えています。 イスラムの国のことは、私は不勉強でよく分からないのですが、イスラム教の国では、マハルというお金を結婚前に支払わなくてはならないところもあります。マハルは普通2000万円以上です。離婚が夫の一方的意思表示で成立する国では、離婚された妻の生活を保護する必要があり、マハルはその場合の補償金の前渡しという意味もあり、合理的制度ともいえます。 いずれにしても、敢えて法律的制約の多い結婚制度を利用する必要がどこにあるのか。それが今問われているのです。 |
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