とにかくやってみよう。

ベタでいいから

 生活倉庫の堀ノ内社長の著書からの引用なんですが、25メートルプールに張られた水を栓を抜かずにすべてかき出すにはどうするかという話があります。
 始める前にいろいろと方法を考えてからやるという人もいるでしょうし、それは正しいことです。でも、他人がとにかく必死で手で運んでいるというベタな方法でなんとかやり終えたのに、その間何もせずに考えているという困った人もいます。
 その人は他人がもう完成しているのに、一滴の水も運びだせなかったわけですね。おまけに期限切れとか言われたりします。

 だから、方法を考えるのは1分でいいわけです。せいぜい1日でしょう。あまり作戦を考えていると、その時間も流れていってしまいます。
 それでは、よほど効率のいい勉強方法でも試験に間に合わないかもしれません。

 それに、とにかくそれをしていないと、実際は何が効率的か効率的でないか自分で判断ができません。理論的には優れていると思われる方法でも、実践してみたらみんなが挫折したというものも実は多いのです。とにかくやってみないと、自分に実現可能かどうかさえわからないわけです。
 だから、最初のプールの例でも、とにかくすぐやってみて、いろいろな水の汲み方を知り、失敗したりしてようやく効率のいいやり方を見つけられるわけです。

 とにかく、ベタな方法でいいから自分でやってみることです。こざかしいテクニックや効率なんてことは忘れてもいいのです。

勉強はツギハギだらけでいい
 極端な例ですが、ノウハウ本で勉強方法を研究し、最も評判のいいテキストを揃え、テキストの1ページ目から始めるとします。ところが、その本ではわからないことが多く、テキストを変えたり、ノートの作り方を変えようとしました。
 そういうことは、試行錯誤の上でありえます。そこで新しいノートの作り方を始め、テキストを変えました、そのときあなたは最初の1ページ目からやりますか?
 やったとしたらバカです。時間の無駄です。前のテキストを100ページまでしたら、前のテキストの101ページ目の項目からやるべきなのです。

 これは時間の無駄というだけではありません。ほほど勉強が進んだ人でないと、勉強して行くうちにノートの作り方を変えたくなったり、勉強方法を変えてゆくのは当然のことで、ノウハウ本に出ているような勉強方法も、そうした試行錯誤の上のことなのです。
 自分自身の学力も変化しますし、やりやすい方法や「これは無駄だ」とおもうことも出てくるはずです。さらに、勉強方法やノートの作り方を固定してしまうと、自分に合った勉強方法やアイディアを試行錯誤する機会すら失ってしまいます。

 だから、ノートは最初から最後まで同じ形式で整理されているのはおかしいのです。逆に「進歩がなかったね。」という評価が正しいと思います。
 英語のノートも訳や本文を書く欄や単語の整理の仕方が単元ごとに変わっていてもいいのです。自習用テキストも単元ごとに使用テキスト問題集が別々でもいいのです。それは避けられないことです。

どこから始めてもいい
 勉強を始めて、よしとばかりに新しいテキストの最初から始める人がいます。もちろん学校の予復習はしていて、今やっているところができているのならそれでいいのです。
 しかし、自分の勉強を優先にすると称して今のところをおろそかにしてはいけません。実際の試験で役に立つのは今の授業で覚えたことや、中間期末試験で一夜漬けした知識なのですから。
 
 勉強を始めるという決心をしても、教科書の最初からやりなおそうと考えては駄目です。どうして、そんなことを思うのでしょうか。
 「自分には基礎がないから。」という人もいますし、それは正しいでしょう。でも、今やっていることも基礎なんですよね。前の知識が必要なこともありますが、それはその必要な限りで前を参照すればいいだけのことです。これから勉強が進んで2回も3回もテキストを繰り返したときでも、いろいろと前や後ろの知識を復習する必要が出てきます。
 基礎はそのテキスト全部にあるので前の知識が基礎というわけではないのです。どこから始めてもいいのです。学校で今やっているところが一番効率がよくありませんか?
 仮にテキストの1ページ目からやっても、今のやるべきことが軽減するわけではないですよ。わかりやすくはなるかもしれませんが、労力はそんなにかわりません。
 
 勉強は、いつどこから始めてもいいのです。