はじめに
 ここを書き直すのは、何回目かなのですが、このコンテンツを読まれる方にあらかたの私の考えを書いてみました。

 私は、高校入試、大学入試にはじまり、さまざまな失敗を重ね、けっきょく試験勉強を満足にできないまま大学に入ってしまいました。
 薬学部の勉強というものは、入試のときよりも何倍もハードなものでした。私が勉強方法を学んだのは大学に入ってからなのです。さらに、自分のやり方を見つけられたので薬剤師国家試験は他の人より短期間で合格レベルに達しました。社会人になっても、いろいろな試験を受けてきました。
 
 最初に結論をいうと、勉強ができないのは勉強量が足りないからです。しかし、勉強しているのに学力がつかない人は存在しますし、現に勉強方法について悩んでいる人は多くて勉強方法についてのノウハウ本は世の中にたくさん出ています。

 このコンテンツでは、最初は私と同じ社会人の人が資格を取る事を想定して書きましたが、実際に試験で悩んでいるのは中高生や学生の人が多いですし、私と同じような間違いをしてしまい、学力や努力が低く評価されてしまう人がいるのではないかと思い、中高生や学生の人も意識して書くことにしました。
 それどころか、私が中高生の時代の反省文でもあるのです。

 現在では、不況もあって社会人になっても資格試験に挑まなくてはならなくなる人もいたり、いろいろと勉強は必要であります(資格に結びつくかどうかは別にして)。
 目的は、それぞれでしょうが、効率的な勉強方法を考えてゆきたいと思います。

 ところで、勉強の成果とは何でしょうか、これはズバリ試験の点数です。もちろん、試験ではなく教養を身につけるだけでいいというなら、何もいうことはありません。しかし、ほとんどの人は試験を目標としているでしょう。

 学生の人などは、特にそうですが、試験で点数が上がらないと一切評価されないわけです。だから、試験勉強は試験の点数を上げる方法を考えなくてはなりません。
 努力しているし、自分なりに実力ができたと思っても、それは何ら評価の対象にはなりません。
 試験の点数のみを上げる努力をしても、そんな知識が役に立つのかという人がいますが、役に立つと断言できます。知識は、表現できて役に立つのです。いくら理解していても、それを表現できなかったら、かえって有害です。

 私は薬剤師をしていますが、過去に勉強したという経験とか理解とかいうものは役に立ちません、的確に薬剤名を挙げること、与えられた処方に対して適正さを判断できなくてはなりません。
 もろろん、人の体や薬の作用を理解していてこそ正確な判断ができるのですが、逆に、理解していても正確でない知識や説明は有害でありますし、正確に知識を引き出すことは、試験勉強とかわりません。知識が正確に出せればよく、それで足ります。
 試験勉強で正解を出す努力は、即職業のスキルなのです。

 もちろん、これは薬剤師に限られるかもしれませんが、他の職種でも、雰囲気や自分の考えではなく、正確な判例とか、正確な知識を再現できることが要請されるのは、当然あることと思いますし、かつ、いくら本を読んでも、自分で理解しているといっても、答案に表現できないような知識では何の役にも立たないのです。

 「こんな勉強は本当の勉強ではない。」ということを言う人がいますが、それを言うと実務をしないと本当にはわからない科目が多く、それを学生の人に要求するのは無理ですし、とにかく正確に知識を引き出し理解を示すことが学生までの人には要求されるのです。だから、「こんな勉強は本当の勉強ではない。」という疑問を立てること自体がおかしいのです。
 
 実は、教師や評論家、先輩などが言ういろいろなアドバイスや言葉は、時として「こんな勉強は本当の勉強ではない。」など誤解を生んでいる部分があり、このサイトでは、その誤解を解こうと思っています。
 また、今回の書き直しでは系統的に書くことをやめました。系統的に書くことは整理されている反面実際はわかりにくかつたのではないかと思ったからです。