Wish You My Best〜Grow,Step by Step
                        ツアーレポート(3)

圧巻の横浜ライブ
 それまで、和気あいあいとして、聴衆と一体になって楽しむライブを展開していた倉木麻衣であるが、新潟では、最後のalwaysで涙を見せるなど、全力でライブに取り組むようになった。もちろん、それまでのライブも全力で取り組んできたものだが、限界に挑戦するかのような態度を見せてきた。

 どうしてそうなったかというと、いろいろ考えられるが、「明日へ架ける橋」がリリースされたが数字的には思わしくなかったことで、歌手として歌っていたいという執念に似た心情が生まれたのではないかと思える。また、ツアータイトルのGrow,Step by Stepということで、もっと成長してゆかなくてはならないという態度になってきたと思う。何にしても、気合が違ってきた。

 その気合のライブということでは、横浜の2日間は渾身の力を発揮した。横浜では、「3階の奥の人は、私は米粒のようにしか見えないんですよね。」など後ろの席の人を、いつになく気遣い、「3階の奥の人まで、ちゃんと心が届くように歌います。」といった発言も見られた。
 せっかくライブに来たのに、後ろの席でがっかりしている人もいるかもしれない。新曲リリースの後に感じたものかもしれないが、こんなにもたくさんの人が自分の曲を聴きに来てくれるというファンへの感謝の思いが強くなったので、このような発言になってしまったのかもしれない。

 一番上の席の、一番後ろの人を何とか感動させよう。そのような倉木麻衣の気持ちは、ライブ全体に、ひしひしと現れていた。私は前の席で見ていて「この人倒れるのでは?」と心配するくらいに至力を尽くし、その気合がほとばしっていた。倉木麻衣の気迫に驚かされるばかりであった。
 終演の後、各階の聴衆に地声で思いっきり「ありがとうございましたー。」と叫び出したのは、この横浜のライブからである。少しでも、聴衆が満足するように、聴衆に訴え、感謝の意を表したのである。

 横浜1日目より2日目と、昨日よりも気迫のライブ。しかし、その後、北海道ライブをするが、やっぱり体調を壊してしまった。そして名古屋ライブを経て九州公園となる。

倉木麻衣はスーパーサイア人か
 私は、福岡公演に日帰りをしたが、福岡公演は直前までチケットが売れておらず、公演数日前でも3階とはいえ最前列の席が取れた。そこで私は、ネット上でもあちこちにPRをして、少しでも席を埋めようとした。私の力はほとんど役に立たなかったのであるが、少しでも力になりたかった。
 当初、私は福岡に行く予定はなかった、たとえ行けなくても倉木さんのライブチケットを買ってあげようという気持ちがあった。結局、直前で都合がついてライブに参加した。
 
 ライブ会場に入ると、開演20分前でも席はガラガラな雰囲気であり、10分前になっても上階の席はガラガラだった。空席の多いときでも、倉木麻衣は来てくれた人のために全力で歌うだろうか。そんなことをふと考えた。
 しかし、開演直前を伝えるアナウンスとともに、みるみる客席は埋まり、結局満席となった。

 ところで、スーパーサイア人というのは、昔の大ヒットアニメ「ドラゴンボール」に出てくるのだが。サイア人は何回も限界を超え、倒れるたびに能力がアップする。何回となく限界を超え、その究極の姿がスーパーサイア人なのだ。

 横浜で、限界に挑戦し、無理をした。さらに北海道で倒れ、それでもステージをこなした。北海道と名古屋では体調回復という意味では時間的に余裕があるわけではなかったが、体調を調整して名古屋ライブをこなした。
 そして、臨んだ九州公演。倉木麻衣は横浜で見せたものを難なく無理なくこなせるようになっていた。まったく、この人に限界という言葉はないのか。

 そして、その後も倉木麻衣の成長は加速する。大阪では、1日目と2日目のStand UPの立ち位置を変えた。それは、倉木麻衣自身が聴衆をいかに煽るかという工夫をしたものである。しかも、それを、たった1日で変更させ最高のパフォーマンスをゃってのけたのである。
 かなりの工夫と練習を1日でやってのけたということは、ステージへの限界なき追求心を感じる出来事であった。

単独ライブ100回記念
 倉木麻衣の単独ライブは、2004年7月4日仙台サンプラザホールで行われた。その前日にライブ後、倉木麻衣は「私が最初ライブをすることになったとき、私にもできるのか自信がありませんでした。でも、明日100回目のライブができるのは、みなさんのおかげです。」と語っていた。

 そして、記念すべき100回目のライブは特にセレモニーなどはなかったが、このツアーで唯一、アンコールで黒のシャツを着ていた。
 前年のバースデイライブで白のシャツを着ていたのは自由に描ける限りない未来を表現していたのに対し、この日の黒のシャツは何者にも染められない確たる自我を表現していたように思う。

そして、ファイナル
 東北公演を終えて、松戸公演を経て東京国際フォーラムのファイナルへと進んでいく。松戸では地元ということもあり、倉木麻衣はハイテンションだったようだ。
 そして、ファイナルへと向けて倉木麻衣の成長の過程が集約される。ファイナルも倉木麻衣は、序盤から気合をもって走った。

付記
 ファイナルでは聴衆にサイリウムが全聴衆に配られ、アンコールのときにサイリウムの演出がなされたが、私は否定的だ。ショーとしての演出はありえるのだが、少なくとも最後のalwaysを歌いきるまで倉木麻衣を完全燃焼させるべきであったし、それに向けて全力で走ってきたはずである。

 そのような演出をしないと倉木麻衣の歌のみではファイナルの感動を演出できないと上級のスタッフが考えていたとしたら、倉木麻衣の実力への過小評価であると思う。
 それが善意だとしても、このような人為的演出は倉木麻衣の歌に添加物を入れることになり、好ましくないと思う。

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