冷たい海



 この曲は発表以来ライブでの定番と思われたが、
2003年のツアーではセットリストから外れている。

2003年のツアーは原則としてアップテンポでダンスを中心におき
アップテンポに仕上げていくのが当初のコンセプトであったと考えられ、
そのようなコンセプトからこの曲は外れたのであろう。

ただ、このツアーでのコンセプトはもう1つあり、
英語の歌を多く入れて倉木の声量と急激に上昇した歌唱力を活かし
洋楽アーティストの水準に近づいていることを示したかったのかもしれない。

しかし、この冷たい海は、倉木の洋楽アーティストとしての代表作の1つであり、
初めて倉木のライブを聴いた者にとって倉木の才能を感じることのできる作品なので、
この扱いは残念でもある。

ライブでは、静かに倉木独自の世界を堪能してほしい。
「まさか、こんな曲を歌える歌手がいたなんて。」と驚くかもしれない。

全体的に救いのない暗い曲だが心に突き刺さるものがある、
終盤のJefferyとのかけあいでは余韻がさらに膨らんでくる。

 
この曲の歌詞は難解な部類に入る。
英語詞の最後の部分は

「月光の下で幾千もの瞳がこの地上で生きていこうとしている、
子供達の生きるための戦いがある。」というような意味である。

詩全体からいうと、そばにいるのに
「あなたの瞳には 何が見えるの」かわからず、
そばにいてもわからないし、何を考えているのかわからない。

希望は見つけられないけれど、
少しでも未来への希望があれば
それに向かって歩いてゆこうという流れとなる。
 
子供とって大人になるのは大変なことで、
思いがけない事から命までもなくなってしまう。

運良く大人になるまでは、いろいろな戦いに勝ってゆかなくてはならない。
未来に希望はないけれど、
この地上に立って希望を見出し生き抜こうと訴えかける。

ここまでなら、簡単な詩なのだが、
私が引っかかったのは「悲しみのアルバムを閉じ」るというところである。
この詩の「あなた」もうこの世にいないのではないかと思われるのだ。

だから「あのとき、あなたの瞳には何が映っていたのか」
と思いをはせることになり、
アルバムの中のあなたは「どうしてそんなに優しいの」と悲しくなるのである。

この詩での「あなた」はすでに死んだ存在なのかもしれない。
しかし、悲しみとともに、せめて他の世界の子供達には
少しでもいいから希望を持って生き抜いてほしい
という気持をぶつけていると考えられる。

現実には悲しい現実があるのだという面が訴えられている。
祈りにも近い思いがあり、倉木の独特の世界を味わえる曲だ。

ろばさんの部屋 > L・O・V・E DOOR