Time after time

この曲は平安神宮ライブと2004年の全国ツアーで歌われている。
ライブでは、今のところ手拍子する会場としない会場があるが、
曲の性質上、静かに聴くべき曲であり、手拍子は不要であろう。

倉木屈指の名曲ではあるが、
私見では平安神宮の時点ではあまり歌いこまれていなかったように思ったが、
ただ2004年のライブではかなり歌いこまれていた。

史上最高の美しい歌詞

この曲は和歌の手法で作られており、
花御堂(はなみどう)、薄氷(うすらい)という季語を含んでいる。
和歌の手法は他にも使われ全体的に精密な作りの歌詞となっている。

もうひとつの和歌の手法とは掛け詞だ。
「薄氷(うすらい)冴返る 遠い記憶。」という部分は、
冬の池に薄氷が張り、その向こうの建物にあの人がいる情景ともとれる。

もしは薄氷が張る池の周囲は竹やぶがあり、
その向こうには神社かお寺がある景色で、
そこに1人たたずんでいる情景ともとれる。

薄氷(うすらい)冴返る遠い季節とは、
幸せだった季節であるのだが、
決して、もう手を触れるてはいけなし、
触れることもできないものである。

氷に閉ざされたものなのである。

そして、幸せな頃の記憶が「薄らい、冴えかえる。」
記憶が、薄らいだり、
時には鮮明に蘇るという意味は当然取れるだろう。


もうひとつの掛詞は「涙ひらり まっていたよ。」という部分。
これは歌のみを聴いていると、
涙が出たのを、花びらが舞うのと同じ表現をした美しい詩ととれる。

しかし、歌詞カードを見ると「涙ひらり待っていたよ」とあり、
待っていると涙が出てきたという意味で書いてある。

あの人を待っていても、そこでは花のみが舞っていて
たたずみながら涙が流れてきたということであろう。

 
消えぬ思い

人間は、もういちど、あの時からやりなおせたらと思うことがある。
そうしたら今度は別の結果が待っていたかもしれない。

特に、どうしても離したくない大切な人だったら。

しかし、もうそんなことはありえないのだ、
桜が散る前には戻れない、
でも街は「あの日と同じ、変わらない景色」なのだ。
華やぐ街と、自分とが対照的になっている。

ところで、この曲の歌詞には不可解なことがある。
自らの悲しい事情があるのに、肯定的な印象を受けることと、
旧知である恋人に再会ではなく「めぐり逢う。」としていることだ。

そして、別れてしまった人との約束はありえるのだろうか。
それは、自分自身の確信のみでないだろうか。

ここで「花御堂」という季語があるのだが、

「花御堂」とは4月8日の花祭りに、
お釈迦様の像を置き屋根を花で飾った小さなお堂のことである。

京都造形芸術大学の中路助教授の説明を引用すると

「この日人々はお釈迦やそのお堂を花で飾り、甘茶をかけて、
その生誕を祝福するのである。
お釈迦様だけがこたえてくれる、と人々が期待する願いがあるのである。
それは輪廻にかかわる願いであろう。」

そして中路助教授はこの歌で歌われている恋人とのことは、
この日に終わりを告げられると述べている。
 
そして、この曲は従来の曲にあったような未練や我執でなく、
そのようなニュアンスを感じられないのは肯定的であるからだと述べられ。
「後世での出逢いと期待を祝福する人々の願いが肯定されている。」
と述べられている。

このように考えると、中路助教授の言うように、
この曲は「来世で」というようなものではなく、
永久に繰り返される輪廻のなかで「いつかめぐりり逢う。」という
恐ろしくスケールの大きいものである。

また中路助教授はReach for the skyでのgolden ringは
「永久の結婚」を意味されていると分析されており、
そうであるなら倉木麻衣の時間の概念は破格に壮大であるとおもわれる。


史上最高の価値ある曲

掛詞や花御堂にこめられた意味は深く、
きっとお釈迦様が願いを叶えてくれる。

そして、釈迦様によって巡りあえるから、
花御堂と掛けて「薄紅色の季節」なのである。

そういった確信をもった人生が新しくスタートし、
この歌詞の日は終わりであり、始まるのである。

まことに花御堂に願いをこめ、確信している女性というのは
古き古都の女性のイメージそのものである。


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