倉木麻衣プロフィール

倉木麻衣。1982年10月28日生。

1999年10月、当時16歳の倉木はMai・Kとして「Baby I Like」で全米デビュー。

 このときの製作スタッフは、カーズのグレッグ・ホークス、ニューキッズオンザブロックのソングライターラリー・トーマス。そしてプロモーションはマドンナのデビューの基礎を築いたマーク・カミン氏が担当。
 そしてこの時に製作プロデュースを担当したボストンのペリー・ガイヤー率いる音楽製作グループCybersoundは、この後ずっと倉木の曲のアレンジを担当することになる。

1999年12月8日、倉木麻衣として「Love, Day After Tomorrow」で日本デビュー。
 当初は無名でオリコン18位からランクインし、1ヶ月くらいで売れ始めて、6週目にベストテン入り、半年後の5月には後続の「stay by my side」「Secret of my heart」とともにオリコンで14位以内を倉木の3曲が占めるというロングヒットとなる。
 そして、ファーストアルバム「delicious way」は400万枚を突破。その後、アルバムは3作連続ミリオン突破、2004年1月発売のベストアルバム「Wish You The Best」も発売2ヶ月でミリオン達成。
 CDシングルも2004年5月リリースの「明日へ架ける橋」がオリコンウイークリー3位となり18作連続オリコン3位以内という偉業を達成。


 と、まあここまでは、他のサイトや公式ページで詳しく書いているので、リンクからそちらを訪問して欲しい。

 倉木麻衣といえばライブをおいては語れない。当初メディアへの露出が少なかった倉木であるが、爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy liveを皮切りにLoving Youツアー、FAIRY TALEツアー、平安神宮ライブ、Mai−k.&EXPERIENCE Special Live、Wish You The Best〜Grow,Step by Step〜と怒涛のように次々とライブを敢行。

 極度のあがり症の倉木は当初緊張のあまり失敗するシーンも多かったが、それでも自己の今ある力を発揮。ライブをし続け、その成長は驚異的に飛躍、現在も1か月見なければ全く実力が違っているという倉木を発見することができる。

 特にFAIRY TALEより半年後の平安神宮ライブではライブパフォーマンスの成長を見ることができ、一時期の緊張でガチガチの素人っぽさのある倉木麻衣は見る影もなくなった。
 そして、同月のMai−k.&EXPERIENCE Special Liveでは、ゆっくりとした歌い方で聴衆の心に届くバラード調のライブとなり、その声量、伸びのある声、魂を感じる歌唱は聴衆を魅了した。
 このあと成長すると、いったいどうなるのか想像もできない。

 そして、2004年Wish You The Best〜Grow,Step by Step〜数々の伝説のライブを生み出すライブツアーが始まる。

私からの倉木さんの紹介

 私はドラマなどで「歌を聴いて泣いている。」というシーンは全く信じていなかったし、かなり誇張した表現だと思っていた。ありえるとしたら聞き手の何らかの思い出があり、それを重ねている以外にはないと考えていた。
 もちろん、歌を聴いて強く感動する事はあったが、人が泣いたりするようなことはありえないと思っていた。
 ただ、それは倉木麻衣という存在を知るまでの話。「こんな歌手がいるなんて。」というのは1つの驚きだった。しかも、自分の経験と関係なく深く感動する。ライブ後は心に傷を受けたように刻みこまれる。

歌唱力
 歌唱力の定義は難しいし、客観的基準があるものでもなかろう。発声テクニックなど声楽上の技術は項目に分けて採点は可能だろうが、表現力というものは客観的数値にするのは難しいであろう。一般的に「歌が下手。」と言われる歌手でも、歌そのものを聴いて多くの聴衆に感動を与えるものがあることは否定しない。 ただ、本当に下手だったら、そういうのは稀有なことだと思う。

 逆に声楽上のテクニックが万全だとしても、それで聴衆に感動を与えられるかどうかはわからない。歌がうまいのは認めるが全く感動しないし面白くもないということもよくあることだ。歌唱力とよく言われるが、あまりにも漠然とした概念でもある。

 もちろん声楽技術は表現力の幅を持たせる上で必要であるが、こと歌唱力という限りは声楽技術を一応考慮するものの、一旦それとは切り離した聴き手に伝わる表現力と考えるのが妥当だと思う。
 倉木麻衣は一応の技術は持っているが、プロとして声楽上の技術で卓越しているのはブレス(息継ぎ)であり、歌手によっては歌の中で息継ぎをしていることが歌に現れてしまう者もいるが、倉木にはそれがない。場合によっては、いつ息継ぎをしているのかわからないくらい歌がなめらかに聞こえる。

 倉木麻衣は歌がうまいかうまくないかという議論をされることがあるが否定的意見の主なものは声量と歌詞が聞き取れないというものだろう。
 ただ、声量については毎日腹筋100回のトレーニングは欠かさないくらいに真面目に練習はしているし、実際ライブなどでは声に力強いパワーを感じることができるし、豊富な声量を発揮している。
 ただ、静かなバラードなど、曲の性質によっては演歌やクラシックのように伸びのある声を出すとメロディー自体が崩れてしまうものがある。特に一小節あたりの歌詞の量が高密度になることが多い倉木の歌では基本的な声量を発揮できていないことはあるだろう。
 ただ、ライブでもCDでもマイクを使用するので、主旋律の維持と曲のイメージや(心の)表現に重点が置かれることになり声量は抑えられぎみになる。そう考えれば今の歌手では声量はあまり重要ではないともいえる。
 ライブではCDよりは、ゆっくり歌詞を聞き取りやすく歌い倉木の声量をいかんなく発揮することが可能である。

 ただ、ライブとCDやDVDとは違っているのは確かだ。倉木の歌がライブとCDと違うのは、周囲の楽器と調和しやすい倉木麻衣の声質が原因で倉木麻衣の声がバックの演奏に隠れてしまうというというのが一般的な説だ。
 ただ、私見では編集者の意図が大きく、声量など技術面よりも曲のイメージを優先させて編集していると考えられる。
 また、ライブでも生と比べてDVDではかなり平面的に聴こえてしまう。さらに同じライブのDVDでも印象がかなりちがう、たとえばHNKで放送された平安神宮ライブを録画したものと、平安神宮ライブを収録した市販のDVDを比較しても、全く違う印象がある。
 こういうメディアは音源をとった場所、どこでとった音源に重点を置くかなど編集者の意図が大きく左右するのだろう。
 
 ただ、歌のうまさという点では、間違いなく上手いと言える。初期のころのライブでは、倉木麻衣はしっかり歌っていたが一緒にライブをやる応援のアメリカ人歌手との差は歴然で、著名でない歌手ではあるが、倉木はおろか日本人歌手とは全くモノが違うという感じで笑うしかなかった。
 特に、この後現在まで倉木の曲を演奏することになる黒人(この表現は不適切かもしれないが)4人組の音楽性や演奏、歌唱は、たとえ彼らEXPERIENCEが無名であっても日本人歌手ではどんなに頑張っても真似すらできないと思えるもので、倉木の当時の歌唱力ではアンバランスも甚だしかったかもしれず、倉木の歌が下手に聴こえても無理からぬことだった。
 しかし、10代の吸収力と、そばに優秀なミュージシャンがいて、一緒にライブをするということはかなり倉木の歌唱力の向上に影響しているのであろうが、現在では全くEXPERIENCEと組んでも実力のアンバランスや違和感はない。

 もっとも、倉木麻衣のよさは、上階席の奥の聴衆まで気をくばり、ライブに参加した者全員を満足させようという心配りでもある。

ライブパフォーマンス
 初期のライブではサポートバンドのEXPERIENCEの黒人4人組みのメンバーや、ゲストで来たCybersoundのマイケル・アフリックさんに圧倒されて、本場のアメリカのミュージシャンの中に小さな日本人の女の子が迷い込んで入ってしまいオタオタしているという印象はある。今では全くそんなことはなく、ライブパフォーマンスや観客の煽りなども最高水準に近くなっている。
 近くにお手本がいるというのも大きいが、倉木はかねてよりマイケル・ジャクソンを敬愛しており、さらにマライヤ・キャリーなど海外アーティストのライブを研究し「ライブでの見せる要素」を重要視している。
 近時では、ダンスに力を入れており、ライブパフォーマンスの向上は現在も急激に向上している。

 ただ、私は「倉木麻衣にダンスは不要。」と倉木にアンケートやメールで意見をし、それ以来、二度とライブで「ダンスのみを見せる場面」はしなくなった。
 もちろん、私の意見が聞き入れられたわけではなく、多くの意見とスタッフを含めた倉木サイドの決定であろうが、倉木麻衣は歌が商品の本体であり、それ以外のことは本体の飾りにすぎない。
 ライブパフォーマンスは倉木の意図する「ライブのショーとしての部分」では必要なことであるし、ダンスもライブパフォーマンスの向上には必要なものだろう。上手いにこしたことはない。
 ただ。それらは商品本体の歌に影響しない範囲でやるべきことなのだ。
 煽りについては、EXPERIENCEのJeffreyが主要な役割を果たしているが倉木麻衣自身もっとも取り組むべき課題かもしれない。

世界観
 倉木麻衣の歌詞では難解な部分がある、これは倉木独特の世界観が原因しいてる。特徴的なのはLifeは「人生」という意味で使用されることが多く、さらに「人生」は運命という解釈が可能である。しかし、倉木が運命というときは最初から決まった運命ではなく、舞台や設定が変化したにすぎず、常に努力によって克服できるものとして捉えられている。
 倉木麻衣は謙虚な人と言われるが、自分の力ではなく、自分を支えてくれいてる者の存在を常に意識しているからだろう。本人の努力は全く言う事はなく、周囲やファンには「私を見つけてくれてありがとう。」ということを言う。
 成果は本人の努力だけで得られるものではなく、周囲から存在を認められて初めて得られるものということだと考えているようである。

 倉木麻衣の曲は、風景描写が多いが、それに仮託して、普遍的な世界観を示し、中路京都造形美術大学助教授の言うように、永遠の結婚(Reach for the sky)、無限の時の流れ(Time after time)のように広大無辺な概念を有し、alwaysでは、深い許容性を見せている。

 もっともこれらは、ひとつの論評であり解釈なので倉木本人はどう思っているのかわからないというのはいうまでもない。

性格
 倉木麻衣さんの性格を一言でいうと、真面目な女の子という感じだろう。真面目で謙虚。また言葉使いも丁寧で、タメ口や若者言葉を使うことは想像すらできない。
 プロの歌手としては、マイナス要素だった極度のあがり症も実力の向上で影をひそめているが、やはりここ一番では失敗する。プロ歌手として、キャリアも実績もトップランカーなのだから少しは自信を持ってほしいところだが、急速な成長は極度のあがり症も原因であろうと考えられるので、そんなにマイナス要素でもないかもしれない。
 デビュー当時に倉木麻衣は誹謗中傷されて深く傷ついたことがあり、そのとき倉木のプロデューサー(代表ですが)は、この業界は長く、どちらかというと百戦練磨の部類人なので猛烈に抗議することは得策でないことは十分承知しているのに、どうしても、そうせざるおえなかったということが納得できるくらい真面目な性格ではある。

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