医療改革(3)

患者中心の医療への転換
 先週までは、少し難しくなってしましいました。簡単に概略を述べます。
 人には、自己決定権というものがあります、これは、憲法上の自由権を根拠にして、全ての法律の中で、当然に前提とされています。
 自分の財産や身体、職業、移動など、様々な自由を認められています。しかし、他人の権利を侵害しない程度に自由権を制限される事はありますし、権利の内容についても政策上制限を受けることがあります。
 そうだとしたら、個人の身体の処分権は誰にあるのかというと、自分にあり、医療行為が傷害罪の構成要件に当てはまるのに違法性が無いというのには、患者の推定承諾があるからだという事と、社会的な相当性にあると言えます。
 そうであるなら、患者にはどのような治療方法を選択するかの権利があるわけです、しかし、現実には、それは出来ません。
 理由としては、現実の医療の組織がそのように出来ていないからです。その理由は、医療の専門化により、1人の医師が全ての治療法をマスターしている訳ではないし、それを要求する事は不可能である事があります。
 アメリカのインフォームドコンセントの事例を例に取りますと、まず、病名の決定があったとします、まず、ひとりの医師が治療方法を可能な限り伝えます。
 次に別の医師が面談して、患者が様々の治療方法を理解しているかどうか確認します。
 ここでの確認は、説明した医師が適正に治療方法を患者に伝えたか(情報伝達の適正)、正確に患者に伝えたとして患者は正確にそれを理解しているか(誤解の排除)をチェックして、ここで、患者の選択を確認します。
 患者の選択が確定したら、その治療方法を実施できる医師を主治医とします。
 そこで、患者の意志に沿った治療がなされます。
 さらに、患者は治療の素人なので、別の医師や薬剤師に相談してその治療法のメリット、デメリットの解説を受ける事が出来ます(セカンドオピニオン)。
 もちろん、交通事故などの緊急処置などは、以上の手続きは出来ないので、患者が救急車で運ばれてきた時点で推定承諾があったとみなして、早急に処置が出来るものという事はあります。
 
 では、我が国で以上の設例は可能かと言うと、いろいろな理由で出来ません。
 第一に、我が国の保険制度では、出来高払いとなっていて、1つの病院では、診断行為(病名の確定)についての評価が低いという事が挙げられます。
 患者が治療方法を選択したとして、その治療方法を実施しうる医療機関に転送しても、適切に診断、患者への説明をした医師は何の評価も受けません。
 したがって、我が国の医療機関は、いちど来院した患者を自分の所で治療する事が原則になってしまいます。そうすると、患者の選択権は狭まる事になります。
 第二に、医療の広告制限があり、医院名、診療科目などは公表できますが、医師の経歴や専門のスキル、治療方法については、公表する事は法律によって制限されています。
 これは、例え医師であっても、隣の病院の先生の得意とする分野も、どのような治療方法を取っているのかも分からないという事を意味しています。
 したがって、患者の医師に沿って転送という事が困難になっていますし、患者が最初に行く病院も制限がかかります。
 医療の広告制限は、患者の自己決定権の侵害を招いているだけではなく、医師同士のネットワーク作りも阻害しています。立法趣旨の、誇大広告の防止や医師同士の不当な競争というものにしても、誇大広告を防止する立法措置をとればよく、広告そのものを制限するより、広告の内容や医療の内容について評価するべきではないのでしょうか。
 (LRAの基準とは、より制限的でない他の選びうる手段が存在する場合、その法律は違憲とする基準で、人権侵害の疑いのある法律の違憲性の判断基準です。患者の自己決定権をどのような人権と捉えるかによっては考慮する余地があります。)
 
 次に、現在の厚生労働省の進めている医療改革を、見てみます。
 将来的には、まず、かかりつけ医師として、個人の医師に見てもらい、その上で、軽微な病気はそこの医師で治療し、それ以外は、専門化した病院または、基幹病院に転送する。というシステムを目指しています。
 現在でも、患者転送に伴う紹介状に保険点数が優遇されて、基幹病院は、原則として紹介状が無いと受診出来ません、もちろん今の所、受診を断られる事は無いのですが、紹介状の無い場合割増料金となっています。
 これは、地域の開業医、専門の病院、基幹病院との役割分担を目指しているのです。
 今の所定着はまだしていませんが、アメリカと同様のシステムを志向しているとも考えられます。
 診断、転送というに評価がされていないと前述しましたが、正確に言うと、自分の病院で治療する事を止める事に比べて、現在の点数は不当なくらい著しく評価が低いという意味です。
 アメリカ流のインフォームドコンセントにはなかなか移動できませんが、ある程度枠組みが出来ると、今度は、医療の運用面での改革が焦点になって来ます。
 それには、保険の診療報酬の体系も、改革が必要になって来ます。
 現在でも、患者への情報提供に高い点数が与えられ、患者への情報提供と入院計画書の作成など情報に対する評価が高くなり、従来の物に対する評価よりも高く設定されていますが、医療現場では、出来高払い制も残っており、運営面で従来と基本的に変わっていないという事も多いのです。
 医師会によっては、医師会内のネットワーク作りを模索している都道府県もあるのですが、今ではモデルケースというか実験に近いものです。
 将来的には、
 個人の医院→準基幹病院→専門医療機関→基幹病院
 と転送されるようになります。ここで、専門医療機関とは、例えば胃腸科→胃潰瘍専門の病院のように細かい専門や治療方法によって患者を振り分けている病院の事をいいます。
 現在の改革案でも、医療広告の緩和、情報公開の緩和が考えられています。
 
 準基幹病院とは、私独自に挿入したのですが、理由としては、第一に、基幹病院の負担軽減の要求も考え合わせると、個人の医師から、より専門的に基幹病院に患者を振り分ける時の診断やセカンドオピニオン、治療方法の決定をするのに、基幹病院の手前に、もうワンステップ必要な事。
 第二に、基幹病院の病床は無限では無いので、新規患者のために、ある程度病床を開けておかなくてはならず、基幹病院から専門の病院への転送や、準基幹病院への転送もありえるという事が考えられるからです。


(2001年12月14日 記)

  医療改革(4)
 
医薬分業って?

 
 今回は医薬分業です。
 現在では、殆どの病院で診察を受けたら、処方箋という紙をもらい、外の調剤薬局で薬をもらうようになっています。
 「どうして病院で薬を貰えないのかな。」と思っている人もいますね。
 医師は診察、薬は薬剤師というように分業するのはなぜでしょうか。
 
薬剤師の役割
 現在のわが国においては、薬剤師の役割は、
1.医師の処方について、配合禁忌(同時に服用してはならないもの)が無いかチェックする。
2.医師の処方について、その用量が過剰である場合、医師に問い合わせして、その真偽を確かめること。
3.薬を調剤する。ここでの調剤は、患者の服用について、患者さんの服用まちがいを起こさないような形で、服用の効果が上がるようにしなくてはならない。
4.患者に薬についての情報を提供するとともに、生活上の指導を行う。

 患者さんとの関わりでは、以上の点が挙げられるのです。
 医療においては、患者さんが自分の病気と薬との関わりを理解して、服薬する事が治療上有効な事、医師の処方ミスを事前で防ぐ(医師の処方の適正化)という事が医薬分業のメリットとなります。
 付け加えて言うなら、医師から薬を切り離すことによって、「薬漬け」といわれる過剰な投薬による診療を防いで、医療費を抑制しようという政策上の理由もあります。
(医師会は「薬漬け」を否定していますが、実際は、やっている人と、やっていない人が居ますので、医師会としてというように、全体はどうかという事は言い切れない問題だと思います。)
 その他、患者さんから見えない仕事として、患者さんの薬暦を記録して、過去にどんな薬を服用していたかを記録します。
 本当は、患者さんが決まった薬局で薬をもらう事によって、複数の医師から指示されている医薬品がわかるようにしておくと、異なる病院同士の処方の適正という事も実現できます。
 また、薬剤師と患者との面談を通して、患者さんに医薬品の副作用が出ていないかをチェックして、医師に伝えておき、次回の処方の参考にするという働きもあります。

将来の薬剤師のあり方
 先日来、私はインフォームドコンセントと言うことをテーマにしていましたが、これは、患者の自己決定権にもとづくものです。
 前回、複数の医師によって、診断、治療方法の選択を行うことを目標にする事を主張しましたが、服薬についても、薬剤師の面談によって、患者が決定するべきなのです。
 たとえば、糖尿病の薬は、何種類もあり、その内のどれを服用するかについて、薬剤師はいくつかの薬について、そのメリット、デメリットを説明して、患者と相談して、その結果を医師に伝えるという方法が望ましいと思われます。
 そして、前述のように、服薬後の患者の訴えについて、副作用が出ていないか、服薬の効果が出ているかという事を評価して、医師に伝えます。
 将来的には、患者に対する医薬品の情報提供と、患者に対して、病気と医薬品のかかわりを理解してもらう事により治療効果を上げるという事という患者と薬剤師のかかわりについての役割と。
 患者との面談によって、服薬の効果や副作用が出ていないかを評価して、医師に伝えるというような、医師と薬剤師のかかわりとしての役割があります。
 さらに、医師との関わりでは、従来伝統的に行われてきた、医師の処方について、配合禁忌などのチェックという役割があります。
 従来どおりの配合禁忌だけではなく、処方の適正というものも視野に入れるべきです。
たとえば、便秘薬と下痢止めが同時に処方されていた場合は、不審処方として、医師に真偽を問い合わせるべきです。
 便秘薬と下剤というのは、わかりやすい例で、この手の処方はあまりありませんが、胃腸薬を複数出す場合で、コリン作動薬と抗コリン剤という相反する矛盾する処方は割とあるのです。
 次に、テオフィリン製剤などと、副腎ホルモン、抗アレルギー剤など、気管支喘息という病名が推定できる場合に(現行制度では薬剤師には、医師から病名は伝えられません)、咳止めとしてリン酸コデインなどが処方されていた場合は医師に問い合わせるべきです。
 リン酸コデインは、咳止めとして頻繁に使用される薬ですが、喘息は悪化させてしまいますので喘息患者には禁忌なのですから。
 医薬品同士の相互作用については、問題が無くても、患者の病名とのかかわりで不適な場合があるのです。
 現行法では、患者の病名は、薬剤師に伝えられませんが、処方されている医薬品によって、患者の病名が推定されて、それが、患者にとって害悪となる場合は、医師への確認が必要だと考えます。

医薬分業の問題点
 まず、患者の病名が薬剤師に伝わらない事が挙げられます。理由としては、医師の守秘義務、患者のプライバシー保護が理由として挙げられます。
 しかし、刑法上薬剤師にも守秘義務はありますし、患者の病名が分からない事には、適切な指導が出来ないと考えられます。
 現行法では、薬剤師は処方された医薬品名のみを頼りに患者への指導をしています。
 もちろん、それ以前に薬剤師が医師の処方について、配合禁忌などの基本的なチェックをする事自体に批判的な意見もあります。
 医師向けに書かれた副作用防止の本の著者が「薬剤師が医師の処方を評価する権限をいつ与えたのか厚生労働省に問い合わせてみたいものだ」という記述も見られます。
 先進的な医師ですら、こういった意識ですので、法制化は困難ですね。
 医師の処方を薬学的に評価する事は、薬剤師の当然の権能なのです。単に、医師の処方通りの薬を調剤するだけなら、特に大学で薬学を習得した薬剤師でなくても、仕事内容は誰でも出来るような内容ではないでしょうか。
 医師は何をする人かというと、診断、治療する人で。電車の運転士は、電車を運転する人で、裁判官は裁判をする人というように、薬剤師という制度の存在上当然の権限なのです。
 医薬品の供給を適正にして、国民の利益を守るために、不適切な処方の防止の為に薬剤師の制度があるのですから(もちろん、これだけを目的とするものではありませんが)。
 現在では、「医師の処方に薬剤師がとやかく言うのはけしからん。」という意見が強いのは確かです。ついでに言うと、患者の意思決定に関する別の医師によるセカンドオピニオンや、それ以前の複数の医師によって診断をするという意味のセカンドオピニオンについても否定的な意見があるようです。
 
 医薬分業が提言されながら、長年医薬分業が定着しなかったのは、現在の保険制度での出来高払い制が原因となっていました。
 診断という行為よりも、薬を出すという物に対する評価が高かったというのが問題点でした。
 この点については、物に対する評価よりも、情報に対する評価を大きくするという政策上の措置が取られて、さらに、薬価差益の減縮、7種類以上の薬を処方すると、医薬品料を10分の9として算定する等の種類制限、処方料の点数アップによって、医薬分業に動き出しました。
 そして、医薬品の情報公開が義務化して、医薬品のヒートシールにもカタカナで医薬品名が記載されるようになり、多くの病院で医薬品名、用法、効能、副作用などの情報が患者に伝えられるようになりました。
 しかし、現実には、患者に対する薬剤師の員数、コンピューターの不備(薬品名、用法、効能、副作用、注意点)については、細かく記載するとコンピューターが必要となります)などの原因で完全には実施されているとは言えません。
 また、情報を公開するとしても、どこまで公開していいのかは、病院内では医師との話し合いで難しい場合がありますし、調剤薬局にしても、その点は苦慮する所です。
 副作用まで公開すると、患者が服用しないケースもあるという苦情もあります。
 副作用まで公開すとしても、食欲不振とか、眠気とか、軽い副作用は記載しても、重大な副作用については公開しないという場合もあります。
 効能の公開すら、難しいケースもあります。

 今回は医薬分業について書きましたが、シリーズの途中で年末年始を迎えて少し中断してしまいます。
 来年もつづきを書きますので、よろしくお願いいたします。

 みなさん、すこやかに新年を迎えられる事をお祈りして、本日の稿をおろします。

(2001年12月21日 記)
robasanの部屋 > robasanの貧乏話集