医療改革(1)
 
特集医療改革
 先日来、財政構造改革という事で、医療の改革という物が議論されています。私も医療に身を置く者として、ある種の見解を述べてみます。
 まず、断っておきますが、小泉内閣の考えを批判します。
 理由としては、小泉改革は本来経済構造改革で、日本の経済構造を変える事が新しい日本経済を育成する事が主眼だったはずです。
 決して財政の改革が主目的では無かったはずなのに、いつのまにか、財政構造改革にすりかわっている。財政構造を改革しても景気回復は何も得られないという点。
 そして、医療改革と言っても、本来は医療制度や保険制度を変革するべきで、単に保険基金が破綻状態でお金が足りないので、保険料を値上げして、さらに、医療にかかった時は本人負担を値上げしますという事だけで、何の改革にもなっていないと言う点です。
 一番納得できないのは、三方一両損というけれど、損をしているのは、一般の人ばかりですね、それと、本当に損をして欲しい当事者が損をしていません。健康保険や年金基金が運営する巨大保養施設などの特殊法人の赤字が無ければ、現在でも保険は黒字のはずですし、その特殊法人の為に、国民や医療機関が負担を強いられているような物です。
 それと、保険基金を今のような破綻状態に追い込んだ人達の責任は不問とされていますね。
 一般国民と、医療機関への受診者、医療機関の三方一両損というのは、全くの筋違いなのです。それに、医療機関以外は、同一の人間が2回登場しているし。
 保険料も、受診した時の負担も値上がりという事なのです。そして、その値上げ分は特殊法人の維持に使用されます。

何故医療費が高いのか
 野党の党首から、」何故医療費が高いのかを考えなくてはならない」という発言がありましたが、これは、失望という以外にありません。
 ドキュメンタリー番組などで、医療の現場を取り扱った物を見られれば分かりますが、医療機関では、職員一同、少ない人数で、長時間、体力の限界に近い過酷な労働を強いられていて。そのような番組の最後には、看護婦さんの待遇改善とか、人数の増強の必要性が結論として持ってこられます。
 もちろん、看護婦さんだけではなく、医師も過労死者が出るくらい大変です、ついでにいうと、薬剤師もマスコミでスポットが当たらない分、劣悪過酷な職場環境になっています。
 なんと、欧米に比べても、我が国の医療は、比較にならないくらいのローコストで支えられています
 というのは、ここ何十年も医療費抑制策が取られて、医療機関の収入は変わりません。
そこで、個人の医院をはぶくと、全国の9割以上の病院が赤字となっています。
 医師の平均年収は、1部上場企業のサラリーマンより低くなっています。年収1千万には、なかなか届かないのです。
 医療機関の資金繰りも苦しくて、なかなか適正人員が配置できず、少ない職員に過重な負担がかかり、医療事故も多発しています。
 たとえば、患者取り違いのあった病院のケースでは、1人の看護婦がベッドを2台運んで手術室に行ったそうですが。テレビドラマでも、普通は1つのベッドを2人以上の看護婦が運んでいるでしょう、1人で2人の患者を同時に運んで行かなくてはならない人員配置って何なんでしょうね。
 そのクラスの病院はどこも赤字で人員の確保が出来なかったのでしょうね。

 それから、5分診療とか批判されますが、外来での診察料は2000円程度なので、5分に1人の患者を診ても、黒字になりません。
 その2000円から、医師、看護婦、薬剤師、検査技師、理学療法士、管理栄養士、事務職員、ヘルパー、掃除の人、ガードマン、調理の人などの給料を出します。そして、病院の施設の家賃や固定資産税、電気、水道代などを出します。電球も切れたりします。
 治療の為のガーゼとかも買わなくてはなりませんし、医療廃棄物処理のコストは普通のごみ袋1袋で4000円近くかかります。
 1人の患者を5分でこなしても、採算はプラスになりません。

 決して日本の医療費は高くないのです、驚くほどコストが低いのです、しかし、高齢化によって、患者が多すぎるのです。今後も増えます。しかし、保険料はそれに対して少ないのです、不況でさらに低くなりつつあります。
 特殊法人とかを除外して考えても、制度的に無理が来ているのは確かなのですが。抜本的な改革は全く進んでいません。
 保険料を値上げしても、医療の質は変わりませんし、何にも解決していないのです。ただの損失補てんなのです。
 未来の医療とは、どうあるべきか。医療改革はどうあるべきか、保険制度はどうあるべきか、これから数週間にわたって考えてゆきたいと思います。
 今日は政治的な発言もありましたが、これ以降は極めて、医療とは何かという事を中心書いて行きたいと思います。

(2001年11月30日 記)

  医療改革(2)
 
負担金額ばかりの理論

 現在の医療改革という場合、保険者の負担とか、保険料とか、診療報酬という事ばかりが議論されて、医療の内容についての議論はありません。
 あったとしても、どうしたらコストを抑えられるのかという事ばかりです。最近の例でも、外来は5種類以上の薬は出せない(患者の状態にかかわらず)とか、老人が3ヶ月以上入院すると、1日一律9000円しか払いません(3食付きで、ホテルより安い)というものですね。
 このあとは、私としては、あるべき医療の姿を模索したいと思います。医療関係の人が見ると、かなり革新的なものですが、法学をやった人間としては、さほどの事でもありません。
 以前、薬学系の雑誌に投稿した内容でもあるのですが、当時は評価されませんでした。今再び論じてみます。
 
患者の立場
 患者の立場と言うと、漠然としすぎています。分かりやすく言うと、患者の権利と言い換えます。
 患者には、どのような権利があるのでしょうか。
 最近、認識されているものは、知る権利です。

知る権利

 以前は、医薬品の名前は教えてもらえませんでしたが、平成9年の法改正によって、医薬品の名称は患者に公開されなくてはならない事とされて、医薬品のヒートシールにも、カタカナ等の日本語で薬品名が記載されるようになりました。
 病院の設備や、薬剤師数などで範囲や密度は変わるのですが、本来は、医薬品の名称、作用、副作用、服薬している期間の生活上の注意が公開されなくてはならなくなりました。
 医薬品については、医薬分業なども進んできましたし、医薬品を知る権利は除々に普及してきたように思います。
 病院によっては、さらに進んでカルテの公開という事もなされています。しかし、これは未だ法定化されていません。

生存権
 国民皆保険という目標があり、誰でも医療を受ける事が出来るというもので、生活保護制度や低所得者に対する医療費の公費負担の制度です。
 どんなに貧しくても、医療を受ける権利があり、生存を保障されています。この制度は保険制度や、医師法などで、正当な理由無く診療を断れない事の規定などによって、補強されています。
 しかし、最近は保険制度が破綻しかかっており、国民保険で保険料が払えない人が保険証を取り上げられたりして、国民皆保険は崩れてきています。
 本当にお金が無くなり、病に倒れて救急車で運ばれると、生活保護によって処理される事があるのですが、その場合、手遅れで生命を落としてしまうという事例もあります。

自己決定権
 これは、我が国では、一般の認識がありません。実は知る権利の源泉は、この自己決定権から生じているのです。
 簡単に言うと、自分の事を自分で決める権利なのですが、これは、分かっていても我が国の医療制度では実行が困難なのです。詳しくは後述します。インフォームドコンセントは我が国では「治療に関する充分な説明」と訳されていますがこれは正確には誤訳なのです、インフォームドは過去完了形という事を注意してください。
 我が国では「自己決定権」を正面から認めた最高裁の判決はありません(最近それらしき判決はありましたが)という事を断った上で説明しますと。
 患者は自分の体をどうするのか自分で決定する権利があります。従って、治療を受ける権利も受けない権利もあります。
 又、治療を受けるとしたら、どういう治療を受けるかを選択する権利があります。
 しかし、患者は医学的には素人なので、医師から治療について説明を受ける事となります。
 どのような治療方法があるのか、又、それぞれの治療方法のメリット、デメリットを説明されます。
 その上で患者は、どの治療法方を受けるかを選択します。
 インフォームドコンセントとは、すでに説明を受けた物を納得して、自己決定を下して、その治療方法を受ける事を承諾する事なのです。
 アメリカの判例で、「例え、それが医学的に見て最低の治療方法でも、患者には、それを選択する権利がある。」と言う物があります。
 アメリカで、医師が損害賠償を払わされるのは、医療の結果、体に障害が出たという事よりも、充分に治療方法を伝えなかった為に、患者の自己決定の機会を奪ったという事が理由となっています。
 我が国では、ここまでは求められていませんし、患者のその要求を満たせる医療機関は少ないと思われます。
 しかし、患者は説明を受けて、それでおしまいという事ではなく、何の為に説明を受けるのかという説明を受ける目的というものがあるわけです。
 患者が病気について知ることで、治療効果が良くなる事が期待できると言う物が主に言われていますが、患者の自己決定の契機という側面は、ある程度我が国でもあるのです。
 今年、「乳がん患者の手術について、全部摘出という事を患者に説明しなかった事」について、我が国でも損害賠償が認められました。
 法的な評価は、今後の議論や、判決の集積が待たれる事となるのですが。自己決定権を認めた判決かどうかは今の所不明ですね。

(2001年12月7日 記)

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