情報戦
 
情報を食べる

いわゆる「グルメ番組」と実際の店の客の行列について、
あるテレビ番組で「今の客は情報を食べている。」ということが言われ
そのように言う人も増えてきた。

ラーメン店で、昔は行列が出来ていた店に友人と行ったけれど
今は行列は出来ていない。

何かの雑誌やテレビでランキングに出ると
行列が出来てしまい、客は「旨い」という。

以前、私も友人が旨いというので、
その友人に連れられその店に行ったところ
私には、どうして旨いと言われるのか理解できなかった。

「まずくて食べたくない。」というものではなかったけれど
そんなに飛び抜けて旨いというものではない。

別の友人と、ひょんなことからラーメンの話になり
その店のことを「なあ、robasan、あの店旨いと思うか?」と訊かれ
「全然旨いと思わないし、理解も出来ない。」と応えると
「そうやろ。」自分もそう思うという答えが返ってきた。

みんなが「旨い」と喜んでいるなかで
1対1で話すと「実は・・・」と、意外にも同士がいるわけだ。

「今の人間はラーメンを食べているのではなく情報を食べている。」
というのも流行語みたいで言いたくもないけれど
当たっていると思う。

好みの問題で「たまたま自分の好みに合わないだけ。」というものなら
「こういうのも旨いという人はいるだろうね。」と理解はできるだろうけれど
私が、上で「理解もできない。」と書いたのは
そのレベルでもないということだ。

まあ、ランキングというものは
「金を出せば載せる、金を出さないと載せない。」という類のものもあり
特にまずくなければ、それで客を呼ぶと
ある程度は、固定客が残るという意味では、
それなりに店にとって意味があるわけだけれど
情報戦というものは、実際に重要だと思わせる。

人間の認識は、最初に「あるフィルター」を被せると
容易に方向付けができてしまう。
特に興味があって、詳しく追求する人は別にして
何の興味も無く、どうでもいい分野については
マスコミなどの情報を批判することなく
「そういうものか。」とだけ認識されたりする。

興味の無い人はどうでもいいことなのだが
将来の顧客という意味では
かなり重要な事もあると思う。


情報の選別

情報を選別するべきと言われることがあるが
実際は難しい。

以前私は、「今の人は情報を食べる。」と書いた事がある。
私が言うよりも先に何かの番組で言われていた事だ。

ラーメン店のランキングに出ると
行列ができるということについて書いたのだけれど、

昔はいろいろな物を買ったり食べたりしたが
不景気になってくると消費者も事前に選別して買うようになった。

また、情報公開やメディアの発達によって
情報も増えるようになった。

「どうせお金を使うならいいものを」という消費者のニーズから
商品についての事前の情報が重視されるようになった。

小売について言うと店側の方でも
仕入れに要した資金を回収しやすくするため
売れ筋のみを置くようになった。

そうすると上位に出ないと商品として流通さえ許されなくなった。

以上の消費者と店側の対応を考えると
事前の情報というものが極めて重要だとわかる。

しかし、情報というものは一次的には生産者による公開となり
評価するのは評論家やマスコミ、権威機関などであろうが
それが二次的な情報であろう。

しかし、マスコミはスポンサーがいるし
流通が系列化した我が国では
おそらく評価する専門家や機関も
その存立、存続について製作者と無縁ではないことがある。

そうなれば、商業的意図の入った評価になりがちであるし
中立的な評価というものは困難である。

それを補完するべくBlogを中心とした
クチコミ類似の消費者の意見も最近は重視されるようになってきた。

ただ、それでも情報の発信者の立場によって
評価の仕方が異なる。

情報の選別には、
まず自分の立場を明確にしておくこと。
情報の発信者がどういう立場で書いたものかを知ること。
これが大切になってくるであろう。  

人は垣、人は城

倉木麻衣の新曲「Love,needing」について
特にタイアップもなく発売して売れるのかという見解がある。

たしかに、最近は音楽番組が少なく
多くのヒット曲はドラマやCMのタイアップであり
それが宣伝となっている。

タイアップが無いのに売れたという場合は
その歌手本人がバラエティー番組などによく出ていて
知名度があり、新曲についても情報が流れやすくなっている。

ワイドショーで頻繁に紹介されたという場合もある。

情報へのアクセスというか
一般の人がその曲の存在を認識出来るかという点で
第一の関門があるように思う。
以前、私は新聞広告でも効果があると言ったことがあるが
それはこの点を指している。

しかし、曲を聴けない新聞で効果があるかは疑問なしとしないが
先日述べたように
「今の人は情報を聴く。」という意味では
文字と写真による広告でも表現の仕方しだいでは効果があると言いえる。

人は「その存在を知っている。」というだけでなく
「存在を知った上で、内容に関して検討し」買う買わないを検討する。

内容を知らせるのは第2関門といえるが
内容についての情報を流すことはできる。

Blogの力は、どれだけの影響力があるか知らない。
しかし、人同士の繋がりの力も、
ある程度あると思う。

かつて武田信玄は、他の戦国武将と異なり
強固な城は造らなかった。
本当に城を守るのは人であり
どんなに強固な城を作っても
人が強固でないと守れないと知っていたからだ。

逆に城は強固でなくても、
人材を育成し、人と人の繋がりが強固であれば
城は守れると確信していた。

幸いなことに、倉木麻衣には自慢のファンクラブや
多くの良質のファンがいる。
Blogの繋がりや情報発信の力を駆使してみよう。  

広告の有効性

現在では、テレビ、新聞、ネットなど
いろいろなメディアが発達し情報が氾濫している。
消費者は、どうせ買うならいいものをと考えていて情報を得ようとする。
他方、売る側としては少しでも自分の商品をよく売るための情報を流そうとする。
現在は、情報戦が商品の運命を左右するといって過言ではない。

テレビやラジオは「その商品の存在」を知らせるには有効だけれど
実際の購入に関して検討を要するもの(例えば車)は
専門誌など、より多くの情報が必要なものもある。
お菓子など存在を知らせるだけで十分なものもある。

音楽というと、テレビでの広告で音を聴かせなくてはならないという意見もある。
しかし、テレビの広告ではサビの一部しか流れず
全体としての曲の印象とは異なるし、それだけで有効とは思えない。
タイアップでドラマの主題歌では曲のある程度の部分が流れるが
これもドラマの視聴率などに依存するであろう。
しかし、それができないとき
次善の策として「その曲の存在を知らせる」という手がある。

例えば全曲新作のアルバムが出るとして
何を基準にそのCDを買うのであろうか。
それは、ジャケットの印象とかもあるだろうが
その歌手のブランドを信用して買っていることも多いと思う。

もし、ある程度ブランド力のある歌手だった場合は
曲の存在を広告するだけでも効果はあると思うし
専門誌のような解説や情報があればなおさら有効になると思う。

とりあえず、私も「曲の存在を知らせる。」という部分ではいろいろ工夫している。
Blogは検索エンジンと親和性があり、すぐ検索できるので
いろいろなテーマで記事を書き、いろいろな検索に引っ掛けさせる。
Blogのランキング上位の人は、宣伝文がアップされるようにする。

私の別Blogは、人気Blogランキングの社会科学で現在19位で
解説文は倉木麻衣の新曲を宣伝するものになっている。
倉木麻衣のファン以外にアピールするためである。


情報戦とは

情報戦とは、情報取得能力の競争である。
しかし、私が有効視しているのは
いかにして、こちらに有利な情報を流すかということである。

今は勝ち組と負け組みがはっきりしてきたが、
リストラ、合理化という考えは一般にも及び、
何かお金を使うときは、じっくり選別して無駄なものを買わないようになっている。

そして、それは、どうやって選別するのかというと、
やはり事前の情報によって判断するしかない。

そうであるなら、企業というものにとって、
「いかにして自社に有利な情報を流すか。」
「いかにして他社に不利な情報を流すか。」
そういう情報を一般に流すという意味での情報戦は
欠くことのできない戦略といえよう。

情報を流すだけなら簡単なのだが
これを一般に信じさせるには、
どうすればいいのかが、重要な課題でもある。

逆に消費者の視点に立つと
どうしたら騙されずに済むかということを工夫しなくてはならないし、
そういった消費者の視点に立つことで
有効な情報の流し方も模索できる。
なかなか、難しいものだ。


情報戦の大切さ

情報戦というと、情報収集と思われる人もいるかもしれない。
もちろん、情報収集というのは大変重要なことだ。

しかし、私が言う情報戦というのは情報を流すことなのだ。

たとえば、ラーメン屋で旨い店のランキングに出て店の前に行列ができることがある。
好みの問題もあるが、実際には、そんなに旨くないことも多い。

お客の多くは「旨い」という情報をもとに来ているし
実際にそう思ってしまう人もいる。
今の人間は情報を食べているとも言われることがある。

倉木麻衣でも以前「宇多田のパクリ」と言われて
音楽に興味がない人の場合は、ほんとうに信じている人もいる。
聴いてもくれないし、聴いても、そういう耳で聴いてしまう。

中国の古典でも、信頼しあう主君と忠義の家臣の間でも
変な噂を流すことによって、
いとも簡単に仲たがいさせてしまうことがよく書かれている。

企業のイメージアップとかの情報を流すことは
現在でも、より重要な戦略となっている。

こないだのライブドアの報道も
相手の現在の言葉、過去の言葉を切り取り
自陣の都合の良いように断片的に出して利用していたと思う。
ただ、どちらの意図が働いたのかわからないくらい混乱していたが
情報とは、裏に意図があるものでマスコミ報道も例外ではない。

たとえば、15年くらい前の
アメリカとの「牛肉、オレンジの市場開放問題」のとき
台風で青森のリンゴが大被害ということが盛んに報道されたが
それに比して劣らない「みかんの壊滅的被害」は報道されなかった。
政府がオレンジの市場開放をアメリカと進めていたからだ。

このような不作為の情報操作も含めて
情報を流すことは最重要戦略なのだ。

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