マーケティングの落とし穴
 
繁盛する店って

私は小売業にいたことがある。
同じ業種、同じ地域でも
売れる店と、売れない店は
極端に違う。

店の作り、店員の質、値段など
ただ値引き競争の激しい地区では
あるていど均衡が取れていて大差はない。

そこで私はプレゼンテーションの重要性ということを考えたが
それでも満足はできなかった。
そこで先輩の人に
「どうしたら売れるのか」を端的に聞いてみた。

そしたら「売れるものを売ったらいい。」という答え。

その発想というのはPOSシステムによる商魂管理として
イトーヨーカドーを中心に後日姿を現した。

バーコードに光を当てて商品管理をするというやつで
レジの働きもするが
どの商品がよく売れているかのデータもできるし
注文数量の予測もできて
常に新しい商品を適性に店頭に並べる事ができると
数年のうちに全国の小売業に広がった。

売れるものを置いて売り場を効率的にして
売れないものは置かない。

しごく当然の理論だった。

特に少ないスペースでいろいろな品目を置くコンビにでは必須となった。

その発想は正しいのだけれど。
本当にそれだけでよかったのか?


その時は流通革命だったが

POSシステムはいろいろなメリットがある。

無くなったものを自動発注することは人件費削減につながるし、
素人のアルバイト店員でも店内維持ができること。

売れ筋を知って、売れるものを置き
売れないものを売り場からなくすことができた。
特に限られた売り場面積を有効に利用しなければならないし、
資金繰りとしても
売れないものでも仕入れにはお金がかかる。
売れないものを置く事はお金を寝かしているのと同じか
場合によったら処分してしまい、お金を捨てる事にもなる。

POSの目的としては資金繰りと
売り場面積の有効利用という点にある。

もちろん、売り場に売れるものばかり置くと
売り上げも期待できる。

今となっては当然の理論だった。

確かにこれは資金や売り場を無駄にしないということでは有効であったろう。
しかし、売り上げを伸ばして市場拡大という意味では
少し消極的な発想ではなかったか、
売れないものを置かないということは理解できるが
積極的に売ろうという点では疑問が残るのではないかと思う。

日常品や食品はともかくとして
果たして趣味の世界である音楽が
それでよかったのか今再び問いたい。  


平均点なんていらない。

マーケティングって何のためにするのだろう。
みんなの意見を聞いてみて
何が受けるのか探るためだろうか。

小売店がマーケティングという場合は
売れ筋の商品を中心に在庫し
売れない商品を売り場から排除するために利用されることもある。

売り場面積は限られているので
投下資本が回収しにくい商品は売り場から外れてしまう。
最近は昔のようにいろいろな商品がひしめき合う売り場は少なくて
お客のスペースが広くて
少ない商品の陳列が流行しているが
つまりは、売れ筋でどこにでもある商品ばかりが陳列されていて
店同士の個性が無く
売れ筋でない掘り出し物候補が駆逐されてしまっているわけだ。

資金効率はよくなるが
今まで売れている商品なので売り上げに変化は無い。

私がしている司法試験も
人よりも相対的に点数が高くなくてはならず
標準的模範答案では合格できない。
学力的には十分でも
他の人に勝てるものでなくてはならない。

標準的とか、みんなに受けるというのはいいだろう。
ただ、平均的なものでは価値が少ない。

倉木麻衣は人気が落ちたと言われたりするが
ベストアルバムの売り上げや
ライブの聴衆の数からして、そんなこともないだろう。

「明日へ架ける橋」は私の評価が低い。
平均点の曲だからだ。
ファンの声を聞いたり、マーケティングはいいと思う。
しかし、「みんなに受ける曲」なんて意味があるのか?
そんなにヒットはしないと思う。

売り上げを気にして、話し合いと妥協でできた曲は
倉木麻衣が本当に歌いたいものではないだろう。

批判があろうが、何であろうが
倉木麻衣が本当に伝えたいものを
ガーンと出して欲しい。

そうでないと平均点しかとれないと思う。


小売店については

CD不況について小売店の問題としては
単なる物品の流通としか考えていないという批判を
数日にわたって書いた。
実は出口の問題というのは
直接消費者とかかわるということで
かなり大きいのだし
CD不況はPOSシステムの普及と時期も同じくしている。

個々の店の経営努力というものも呼びかけたい。
今の段階では私の知る限り
どの店も同じである。

他の流通でも限られた既製品を売っているのであるが
個々の商品のプレゼンテーションを重視して
お客への訴求を明確にして
個性を出している。

どの店も売れ筋商品を置き
回転の悪い商品を売り場からはぶくことは
経営効率の上で当然の措置であるが
これは消極的な経営であり
損失を防ぐにはいいけれど積極的なセールスとは違う。

前にも書いたけれど
売れ筋商品を置いて売り場の回転を良くして来た結果
どの店も同じとなってしまった大阪日本橋の家電品店は
売り場が広く品揃えもいい
ヨドバシ梅田には抵抗もできなかった。

お客のニーズに応えられないと
値段を安くしても効果は少ない。
そもそも要らないものは要らないのだ。
値段が安くても要らないのだ。

単に損をしない理論を絶対視したのが間違い。
もちろん、理論は正しいが
それは在庫管理、売り場管理にとどまり
消費者へのセールスやプレゼンテーションは
別個考えなくてはいけないのは当然であった。

ところが、POSシステムなどハード面に頼り
それで終わっているところが多い。


マーケティングの落とし穴

POSシステムなど在庫管理によって
できるだけ少ない資金で効率的に利益を出す小売店が増えた。
とりわけ不景気や銀行の貸し渋りによって、
小売業は少ない資金で店舗運営する店が増えた。

限られたスペースと資金の中で店舗運営するには、
売れ筋の商品を見つけて、売れない商品を店舗からなくすことが
経営の第一命題となったのだ。

しかし、経営はそれに尽きるものではない。
積極的に売り上げを伸ばさないといけないからだ。
時にマーケティングの使い方を間違えることもある。

確かに、売れ筋の商品を置き、売れ筋でないものを店から排除する。
これは、正しい経営である。
しかし、それで顧客の要求が満たせるのであろうか。

かつて大阪の日本橋の電気店街は
小さな店舗の集まりであったが、
それぞれ個性的な商品配置と客との値引き交渉を名物に
どの店も繁盛していた。

ところが、そこにヨドバシやソフマップなどの
関東系の店が進出してきた。

最初は、値引きでは負けないということや
固定客がいるということで危機感はあるものの
対等の競争はできると思われたかもしれない。

しかし結局は、関西系の量販店は軒並み経営破綻し、
ヨドバシ梅田、ソフマップが優勢になった。

商品管理も理屈通りにし、値段も負けていないのに
どうしてこうなったのであろうか。

それは、ヨドバシやソフマップには店舗面積もあり
多品種の品揃えがあったからであり、
それが顧客にとってプレミアムになったのである。

日本橋の店舗は、売れ筋を在庫し、売れないものを排除して
経営合理化をした。

しかし、そのために、どの店も同じような在庫品目となり
結局、どの店も同じという感じになってしまった。
さらに、値引きもディスカウントがすぐに底までいってしまい、
どの店も同じような値段となってしまった。

これでは、あちこちの店を回って商品を探すという楽しみはなくなるし、
ヨドバシの方が、いろいろな商品を見ることができるし、
買いものも楽しい。

はっきり言って、単に物品を流通するだけで面白みがなく、
顧客に対してショッピングの楽しみというプレミアムを
提供できなかった店に勝ち目はなかったのだ。

それと、商品を選ぶのは顧客であり
店ではないということを忘れていた結果であろう。



勘違い

マーケティングと一口に言っても
小売業とメーカーでは異なる。

一般的に「何が受けているか」をマーケティングすることは
商品がすでに市場に出ている場合である。
何がよく売れているか知ることで売れる商品を置き
売れない商品は売り場から追い出して
売り場効率をよくすることができる。

しかし、メーカーは違う。
たとえばテレビが初めて商品化されたときは
「世の中でテレビが売れている。」という事情はなかった。
また、映像をラジオのように一般家庭に配信することなど
一般では現実のものとして想像すらしなかったことだ。

しかし、テレビという新しいものを世の中に出すことで
世の中が、それについてきた。
テレビだけでなく、電卓、携帯電話など
新しい価値の創造、顧客の新しいニーズも創造できた。

だから、すでに商品として世の中に出たものをリサーチしても
後追いはできるけれど、それ以上のものはない。

ここ数年の倉木麻衣の曲で、少し困ったなと思うのは
ファンの意見を聞き過ぎることである。
また、アンケートも多くてマーケティングもされている。

しかし、マーケティングは小売業のマーケティングであってはならない。
音楽で求められるのは小売業のマーケティングではなく
新しい価値やニーズを創造して
顧客に提示してゆくメーカーのものであるべきだと思う。

中断して記事を改める。
ここのBlogは、文字数制限があるからだ。

メーカーのマーケティングということを書いたけれど、
これは音楽にもいえる。

例えばロックがそうだ。
ロックはR&Bを母体として誕生した。

ただ、当時のアメリカは人種差別の意識が強くて
R&Bは一般の白人に受け入れられるどころか嫌悪感の対象でもあった。
白人の若者の間では一部受け入れられたが
やはり一般には受け入れられないものであった。

ロックもR&Bと同視されていて
一部の若い白人以外は何の価値もないと考えられていた。

それより厳しいのは
R&B自体がラジオで流すことさえはばかられ
なんとかロックは放送できるので
R&Bもロックと称して放送されていた時代すらあった。

R&Bはもとより、ロックも白人社会では一般に受け入れられるものではなかった。
しかし、1人の天才の登場によって事態は一変する。

エルビス・プレスリーが登場して
ロックは一気に白人社会の中で市民権を得る。

もとから一部の人や若者にとっては、いい音楽と確信されていた。
しかし、白人社会では存在しないものと同じ
存在が認識されても嫌悪感の対象であった。

白人社会だけで見ると
マーケティング的には最悪なものだけれど
何もないところに、ある価値を創造し、
その価値に大衆の方がついてきたのだ。

ファンやいろいろな人の意見を聞きながら作品を作るのはいいとおもう。
それだと非難を受けにくいものはできるし、
そこそこ売れるであろう。
しかし、それが新しい価値を創造するものかというと疑問だ。

皆が賛成したり、小売的マーケティングで得られたものは
すでにある価値でしかすぎないからだ。

実際に倉木麻衣にそれができるのか誰にもわからないけれど
そういうことも少し頭に置いてほしいかなと思う。

DVD発売だけれど

もうすぐ倉木麻衣のDVDが発売される。
大きな店はいいのだけれど、
街の小さな店では
「○○○○予約受付け中」とかの張り紙をしているのだけれど
倉木麻衣について予約受付中という張り紙がない。

歌に限らず、一般的に上か下かで中間が無い。
極端にいいところと悪いところと2極化が進んでいる。
情報化が進んだせいだとも言われる。
価値観の多様化ともいわれるが
一番評判がいいものを知りえるので、皆がそれに飛びつき
流通側も売れ筋のみ在庫するようになると画一化が進むわけだ。

パレードの法則というものがあり
全体の売り上げの8割が、2割の品目で占めるという。
今は全体の1割の品目で売り上げの9割以上は占めるだろう。

私は昔、薬品の流通業にいたことがあるが
メーカーにすると全体の1割の得意先が9割以上の売り上げを占める。
そこで、まことしやかに語られたのが
得意先の絞込みだ。
得意先の9割に商品を供給しなくても売り上げは変わらない。
それどころか、配送の人件費や運輸費を考えると
人員と経費を9割近くカットできるので収益は増えるというもの。

実際にそうだし、そうしているメーカーもある。
20年前に思っていたよりは
そういうことが進まなかったが、日本人の思考では
現実にそうドライには割り切れなかったのだろう。

ただ、小売店も商業であるからには
売れ筋でないものは相手にしない。
私が「明日へ架ける橋」のときに感じていた危機感はそこにある。

平成に入ってからは、上位でないと流通でも相手にされないのだ。
上位であれば黙っていても店の方がPRしてくれる。
売れ筋から外れると
「仕入れに使うお金がもったいないので在庫もしたくない。
店に置いてもらえるだけでも有り難く思え。」
というような対象になってしまう。

ライブ後のこととか、倉木サイドの危機感が感じられるところもあった。
あれは倉木さんに危険が及ぶかもしれないと反対意見もあったが、
私は、危機感を抱いているのだなと好意的に見ていた。
流通で主流を外れるとどうなるか
スタッフは、よくわかっているから。

robasanの部屋 > robasanの貧乏話集