ものの価値は意思で決まる

ものの価値は意思で決まる

今は定価制度が普及していて
ものの価値は店側が提示しているもので売買されることが多い。

しかし、定価というものが考案される前は
店頭で売り手と買い手の話し合いで決まることが多かった。

それでは、ものの値段は、どうやって決まるのだろうか。

製造の原材料と人件費とかを考慮した計算の方法はあるだろう。
しかし、美術品とか骨董品はそうはいかないし
一般のものでも、単なる原価計算だけでないものもある。

特に、骨董品や美術品は買い手が商品に対して
どれだけの価値を見出すかにかかっている。

しかし、これは他のものでも同じである。

ここに倉木麻衣の「Baby I Like」のCDがあるとする。

Aさんが持っている「Baby I Like」のCDを
Bさんに1000円で売りたいと申し出たとする。

Bさんが「Baby I Like」に2000円の価値を見出し
1000円で買えるなら安いと考えて、
Aさんの申し出を承諾したとします。

この場合は、Aさんは「Baby I Like」より
1000円の方が価値が高いと思い1000円を得ることになる。

他方、Bさんは、1000円より価値の高い
「Baby I Like」を得ることになる。

社会全体としたら、AさんもBさんも
より大きな価値を手にすることができて
社会全体の富が増加する。

私は洋服などを買うときは、値札を見ずに、
先にデザインや生地を見て、
いくらなら買うか自分で値段を付ける。

そして、値札を見て、自分の付けた値段より安ければ買う。
すなわち自分の意思でものの値段をつけている。

先の骨董品などでも、同じものでも
ある人は100万円の価値を見出し
ある人は200万円の価値を見出すこともある。

それでは200万で買った人が損しているかというとそうではなく、
その人は200万の価値を認めているのでそれでいいのである。

つまり、ものの価値は人の意思によって決まるとおもう。
金という金属が価値があるのは、
多くの人の意思が金に価値を認めているからだ。

金は希少だから価値があるという説もあるが
それは、ある程度の価値があることを前提に
実売価格の相場が変動する限りに妥当することで、

希少な物質であっても、誰も価値を認めなかったら
値段は付かないと思う。


情報が溢れるということ

何回か繰り返し書いたものだけれど
情報が溢れるということは怖い事だ。

現在は勝ち組、負け組みがはっきりしてきた。
例えばオリコンランキングにしても
全国で何万枚も売れているのは上位3位くらいまでで
その下は数千枚だ。
そして、すぐに店頭から消える。

グルメ店でも行列が出来るところと
閑古鳥が鳴いているところがある。

電気屋でも並んでいる商品は売れ筋上位の数品目で
どの店でも同じ品揃え。

どうして極端に勝ち負けがはっきりするか
これはどうも情報が溢れているせいだろう。

私のサイトで結婚相談所関連のものがあるが
成婚率1割で人気が一部の人に集中する傾向がある。

昔の1対1のお見合いで
仲人さんが選んだ一部の人の釣書しか見れないという時代は
成婚率は悪くなかった。

たくさんの人のデータを参照できるようになると
自分と相手ではなく、多数の中からいい人という視点になりかねず。
実際に成婚率は1割がいいところだろう。

誰しもお金を使ったり何かするとき
好き好んで「良くないもの」を選択しない。
やはり「いいもの」を選びたい。
そして情報を収集するのだけれど
多数の人がベストと考えるものを選ぶ結果
極端に上位1割のものが9割のシェアを占める結果となるのだろう。

ただ、情報は企業によって作られるものも多く
真実ベストというわけではないことに注意する必要がある。

例えば雑誌によっては
「いくら払えば何位に載ります。」などと勧誘してくるものもある。
情報は正しいとは限らない、
自分で情報を選別する能力が問われている。

私は洋服とかを買うときは
生地やデザインを見て、値札を見ないで自分で値段を決める。
そして、実際の値札を見て自分が付けた値段より安ければ買う。

だから、その服の実際の値段は1万円としても
自分で2万円の値打ちがあると判断したのだったら
自分にとって2万円の値打ちがあるものと言える。
2万円のものを1万円で買ったことになる。

自分にとってどれくらいの価値があるのか。
そこに至る自分なりの判断力を鍛えていないと
多くの情報から本当にいいものは探せないと思う。


モノの価値

私は以前の記事で物の価値は意思で決まると書いたことがある。
そのときは、美術品の価値などを書いたかもしれないが、
より具体的には、コンビニエンスストアが
世の中に広まってきたときの事もそうであろう。

もう20年以上前のことであるが
商店街の店や、スーパーマーケットは
ある店の脅威にさらされた。

それが一層顕著になったのはバブル崩壊後
平成大不況といわれる時代に入った頃、
軒並み、既成の商店街の店や、スーパーマーケットの売り上げが落ちた。
ライバルは大店舗ではなく、小さな店舗のコンビニエンスストアだった。

当時のスーパーや、商店街の店は午後7時ごろに閉店していた。
ところがコンビニエンスストアは24時間営業だった。

そこで、既成の店主たちはコンビニに対抗するために
安売りを仕掛けた。

しかし、安売りによって利益率が下がるだけで
どうにも対抗できなかった。

それは、単にモノを売るというだけの考えしかないから失敗したのである。

例えば100円の物に対して、90円に値引きしても
それは店がそれ以上の付加価値を付けられなかったということで
店も客も90円の価値しか価値を認めていない。

コンビニは、それをそのまま100円で売るのであるが、
24時間営業で、身の回りのものが、
ある程度必要なぶん手に入るという利便性は、
個々の商品への価値も高め、100円以上の価値が認められるから、
顧客もコンビニの方を選んだ。

換言すると、90円のものを90円で売っても客は安く思わないし、
100円で売っても、商品価値を高めるサービスがあれば、
110円の価値を認め、100円でも安いということになる。

単に物を売るだけで、付加価値の計算が出来ていなかったので
当時の安売り店は負けてしまったといえるのだ。

robasanの部屋 > robasanの貧乏話集