合理化というが
 

合理化の理念
                                    (2005年06月07日)
さて、今回のJR西日本の事件では、
「JRが悪い」ということで
一般企業にありがちな点まで追及された。
他方、JRの側は「置石」であるとか
いち運転士のミスが原因であるように持ってゆこうとしている。

そもそも、いち社員のしたことについて企業が責任を負うのは
どうしてだろうか。
もちろん、それはその企業がしたことだからだ。

一般的に、従業員がしたことについて企業が責任を負う根拠は、

その従業員の作業によって利益を得ているのに
いざ損害があると当該従業員の負担にしてしまうのは
あまりにも虫が良すぎるという点である。
これは、「利益の存するところに損失も存する。」
という公平の原理と言われる。

JRについていうと。
社会的に人の生命の危険を及ぼすようなことをしている者は、
その危険について責任を負うという原理である。

そして、人の生命に対して危険を及ぼすことをしている者は、
常に人に危険が及ぶことを防止する義務がある。

企業として利益追求をすることは肯定できるとして、
前に書いたように合理化というのは
将来の確たるビジョンに対し事業展開し、
不要なものを精査してゆくものであり
人員削減、経費節減に尽きるものではない。

人員削減と経費節減だけなら誰でもできるのである。
最低限の社会的義務を満たすのは当然のこと
マニュアルに関しても、それを尊守して事故が防げるものかどうか
システムとしても、事故防止が有効に機能していたか、
もっと言うと、利益のためなら事故が起きてもしかたないと思っていたか。

そこまででなくても、事故防止についての措置が思いつかず、
「現場でなんとかしろ。」ということになっていなかったか。

合理化の理念とは、利益をあげるだけでなく、
事業が正しく運営できるというものでなくてはならず、
ソロバンに合わないなら、
ソロバンに合うように真剣に考え抜いたものでないといけないのである。


情報の正確性

商業などを中心として、営業の数字というものがある。

だいたいは個人の成績も営業所の成績も
前年の実績と比較して前年対比として現れる。

例えば小売業の場合
毎週水曜日が定休日の店があったとする。

前年の数字より成績が下がりそうな数字になると
店長(または本社)は何とか前年数字を達成しようとする。

そこで、水曜日の定休日に営業することを考える。
数パーセントの下がり方であると
営業日を増やして、減少分をカバーできる。

普段定休日であると、来客が少ないので
広告などで特売をして集客して、売り上げをカバーすることもある。

ところが、それでも足りないと、さらに営業日を増やすことになる。
最初は臨時営業だったものが、
それでも売り上げが下がり続けることになると、
そのうち定休日を第2、第3水曜日などとする。

そして、ついに年中無休となってしまう。
さらに可能であれば、営業時間を延ばしたりする。

それでも数字が伸びなくなると
今度はもう数字を維持する手段がなくなり
とうとう売り上げが前年に対して下がってくる。

この時点で、やっと売り上げ低下の原因を探ることになる。

本当は最初の段階で「どうして売れなくなったか」調査すべきなのに
その場しのぎの数字を作ることで原因究明が何年か遅れてしまう。

これは現場の責任者が自分の数字を達成するという
保身のための数字作りをしたために本社からわからなったこともあるし、
本社の方が数字で満足して見過ごしたこともあるだろう。

または、その店長の担当上司が原因を伏せたのかもしれないし、
問題について全社員が自覚してても
原因は不景気だと考えていたのかもしれない。

会社によっていろいろだが
現場の状況が上に伝わっていなかったり
現場と上の中間で情報が途切れていることがある。

どの段階で情報が隠れるとしても
正確な情報、数字の裏の事情を正確に知らないということは
対処を遅れさせて、とんでもないことになる。

また、情報を正確に把握しても
不況が原因というような判断をするのであれば論外であるが、
これは、また別論である。


合理化という名前の不合理化

合理化という言葉がよく使われるが、
実は合理化というには、ほど遠いことがある。

先日の記事では、売り上げが落ちると臨時営業し、
それでダメなら定休日を減らして営業時間も延ばし
営業時間が延ばせなくなったら、
もう売り上げが下がるしかなく
そのときに初めて売り上げが下がった原因を探ると書いた。

もっとも、この過程でも売り上が下がったことに対する
原因究明や、対策はされるだろう。

ただ、そこで起きることを書くと。
まず、営業日数や営業時間が増えても
売り上げは上がらないので人員は増やせない。
それどころか合理化と言って人員は減らされるかもしれない。

人員は減らされないとしても、1人あたりの勤務時間が増えるか
残業させないとしても、時間当たりの勤務者数は減ることになる。

この場合でも経営者は、適切な人員配置、合理化というのである。
経営者の書いた本には
「人員が余って、暇な人がいると暇な雰囲気は他の従業員にも伝わり
会社全体が暇人の影響を受けてしまうので、
社員は忙しく走り回る方がいい。」
ということが書かれているものもあった。

確かに、それは正しいだろう。
しかし、それは適正な人員配置であるという前提があるのであり
経営者が売り上げ低下に対する分析や対策を怠ったツケを
従業員に押し付ける口実であるなら、正しくないし
単なる無策を正当化するものである。

経費節減というものは、その場しのぎでやっても
後が続くものではなく
問題が解決されないかぎり次から次へと経費削減に迫られよう。

本当の問題は、売り上げや積極的な利益を上げるためのもので、
それが解決できない限り経費節減ですむものではないからだ。

確たる経営方針と、問題に対する対策があり
後で改善できるという見通しがあるからこそ正当化できるのである。

従業員の生活保障もできないのに
忠誠心とか「仕事はお金だけではない。」とか、合理化とか
そういう口実を使って、従業員に無理を押し付けるものではない。

確かに、経費や人件費を減らすと利益は上がるだろう、
それは誰にでもわかる理屈だ、
しかし、それは従業員に過度の負担を強いて経営を維持しているのだし、
それでは経営者として知恵が無さ過ぎないと思わないのだろうか。

本当の合理化というのは、
次の自社の経営のあり方、収益の上げ方というものについて、
確たるビジョンがあり、
それに対して、何が必要か必要でないか判断して実行することであり、
単なるその場しのぎの経費、人件費削減を言うのではない。

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