ライブドア関連(3)
 
大上段というのはどうかと

ニッポン放送の出演者の方で
ライブドアが経営権を握ると出演しないという人たちがいる。

詳しく内容を聞くと、感情論ではあることも多いけれど
そんなに不当な発言ではないし
明確に堀江社長に拒否反応というほどではない人もいる。
つまりは話し合いがないということだろう。

ただ、子供の教育に悪いとか
リスナーのためという理由はどうかと思う。
これは理由として挙げるのは実は反則なのだ。

たとえば、以前の臓器移植法の是非に関する議論で
心臓死を人の死とする立場からの主張だが

助かる命と助からない命があるとする
脳死というもので臓器移植が移植が可能になるなら
助からない命よりも助かる命の方が価値があるということになり
命の選別は誰にも許されないと思うというような主張もあった。

話を戻すと、人の命の選別とか、人の命は地球より重いとか、
国家のためとか抽象的に正論を言われると誰も反論できなくなる。

こういうのは錦の御旗というが、議論としてはふさわしくない。
個別具体的に、事の真実を分析して判断しないと妥当な解決は得られないからだ。


次の例で、今回はリスナーのためといわれているが

リスナーは自分の好きなパーソナリティーの話を聴きたいと思うことは多いし
自分が好きなパーソナリティーが番組を降板するのが悲しいと思う。
そうであるなら、どんなに経営者が変わっても番組を降りないのがリスナーのためであろう。

逆に、番組内容が自分とリスナーの意に沿わないように
捻じ曲げられるなら断固として抗議して番組を降りるというのもリスナーのためであろう。

このように抽象的な正論というのは抽象的過ぎて
広い立場から理由になりうるので
できるだけ用いてほしくはないわけだ。
一般の人の支持を得られている人たちだからなおさらのこと。

「子供の教育に悪い」
これも抽象的な錦の御旗だ。
昔の消費税のときも「子供に説明できない。」と子供を持ち出した論者がいた。
しかし、子供を盾にとるのは感心しない。

これを言った人は
「お金で何でもできるということを子供に見せると、子供はお金があると何でもできるのかと思ってしまう。」というのである。

別の話題で性教育について言うと
「子供には隠しておくべき」という意見と
「正しい知識を伝えて、取り返しがつかないような重い責任を負わないようにさせるべき。」
という意見もある。
他に殺人事件の報道なども子供に見せられないものとなるかもしれない。

もちろん、子供に見せるべきか否かは個別具体的に検討する必要はあるだろう。
しかし、大切なのは正しい知識と、それに対する評価の部分だと思う。

お金について言うと外国では子供の時から流通や株式の事を教えるところもあるという。
さらに、わが国でも商家の子弟だと
お金に対する教育も受けていることがあろう。

確かに、遺産相続をめぐって親族が争いあうとか
お金のために卑しい行動をしたりとお金の話題を嫌うのは理解できる。

しかし、お金の性質や使い方、良さ悪さを知ることは社会で生活する者にとって大切だし
それを正しく知ることはマイナスではない。

重要なのは、それに対する評価の部分である。
堀江社長のお金の使い方について
家族で話し合い、その良し悪しを評価することが
子供への教育として重要なものでないだろうか。


一連のライブドア報道について

ライブドアのニッポン放送買収に関して
連日のように報道されているが
本当に目まぐるしい。

昨日私が書いた記事も一瞬にして古い記事になってしまった。
ただ、普通の企業同士の商取引などは
普通は極秘で進むものだけれど
これだけ報道されてしまうと双方の当事者ともやりにくいと思う。

それと、日枝会長も堀江社長も一企業家であり
私人であるということを忘れてはならず。
政治家や芸能人ではないので
コメンテーターのうちで
彼らに対する誹謗中傷の発言があるのはどうかと思う。

自分はジャーナリストだから許されるというのが背景にあるのか知らないが
そんな人権感覚だったら、
その人の言うことは今後話半分に聞かなくてはならないと思う。

前置きが長くなったけれど
今回ホワイトナイトということが触れられているが
本当に友好的企業で信用できるなら
自分の株式を買ってもらってもいい(今回は貸し株だが)。
しかし、ホワイトナイトが寝返れば狼になることもある。

特にソフトバンクはメディアも狙っていたことがあり
ソフトバンクはそういうことはしないと思うが
予断は許さないし、少なくとも借りはできたことになる。

あと、ライブドアとしては法的に争うことも考えうるが
新会社に対しての貸し株の契約内容しだいであろう。

貸し株をすると議決権だけでなく配当も受けられるので
それに対応する対価をニッポン放送が受けているのかが
問われることになるかもしれない。

しかし、今のところ私にとって机上の空論ではある。


ライブドア勝利だが

東京高裁の判断は
大方の予想通りライブドアの勝利に終わった。

日本の司法というものは、機械的に法律を適用するのではなく
当事者の利害の調整や社会的に妥当な結論を出す。

日本の裁判所は判決より和解に誘導することが多い。
それは裁判官の処理件数を増やすためだといわれるが
(今月は何件処理したかという営業成績の数字のようなもの。)
法適用したら会社が潰れたとか、当事者が著しく困る解決よりは
話し合いで当事者がお互いに妥協しうるところを模索するのは
紛争解決ということでは優れていると思う。

さて、戦いというものは、勝ったらそれでおしまいというものではなく
勝った後のことが大切だ
実際の戦争でも第二次世界大戦でアメリカが日本にしたように
勝ったで済ませず、その後のケアが大切なことは言うまでも無い。
もし勝ったことで相手にダメージを与えたなら
相手の価値を高めないと焼け野原と傷ついた人々のみを支配することになり
勝っても何も意味がない。

今回のことでも勝ったのはいいけれど
ニッポン放送やフジテレビとの関係修復をし
どれだけケアができるかということが大切だ。

私は以前より、話し合えよとは思っていたが
ニッポン放送側に話し合う余地すらなく
相手の言葉尻をとらえ自分で勝手に話を作り上げて相手を非難していたと思う。

最初の「金さえあれば何でもできる。」というのも
この場面で言われたことでなく
堀江社長の著書に書いていたというのだけれど。

その著書というのは、今から起業しようとする人や
会社を良くしてゆこうということを考えている人が読者なわけだし
いわば金儲けのノウハウ本なわけだ。

この手の本の著者が読者の意欲を高めるために
金があるということのメリットを言うことは
しばしばあることなのだ。

今、誰が誰に何を目的に言っているのかという
場面の設定というものを無視して取り出してくると
話がおかしくなるのは言うまでも無い。

もっとも、現経営陣の支配という結論が先にあるのだったら
現実に忌憚無く意見の交換し、お互いの理解が生まれると困るので
それはまずいということもあろうが、
やはり日本的手法というなら
戦いの裏で和解への道を探るのが普通であろう。

銃弾やミサイルが飛び交う戦争でも
普通は外交チャンネルを駆使して
停戦や和睦の道を探すことも同時に行われることがあるのに
今回のようにただ戦うだけの戦いというのは
ちょっと理解に苦しむ。

ニッポン放送の出演者からもコメントが出ているが
それに対する私の意見は
日々触れる社員の人の影響は受けるのは仕方ないとしても
放送は公共のものだから誰が経営してもよいし
経営者が変わっても番組自体は変わるわけではないとだけにとどめる。

もちろん、大きな局全体の番組編成というものは
経営陣によって変化することはありえるだろうけれど
それはライブドアが主体でなくても
現経営陣で世代交代が起こっても同じこと。
現経営陣が言うように
ライブドアだけが不適格というのは理解できない。

法律的にはOKだとしても
不意打ちではないのかという思いがあるのだろうが
全面的に放送事業に携わるのが不適格というには
理由としては足りないと思う。

放送局以外の一般企業では日常行われていることだし、
非難する点はあるとしても
全人格を否定するほどの理由ではない。

まあ、結論として
話し合いもせずに勝手に相手の悪いところをほじくりだして
長々と誹謗中傷合戦するなということだ。

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